Warmth



真夜中にふと、目が覚めた。



目が覚めた理由は、きっと好くない夢でも見ていたからだろう。微かに湿り気を帯びた前髪と襟足、自分でも知らない内に力いっぱい握り締めている掌がそのことを安易に想像させた。
気付けば、身体も全体に亘って緊張してるのがわかる。その緊張を解すためにゆっくりと身体を弛緩させ、ほうっと嘆息を零しかけて慌てて手を口に持っていった。

ミッションの為に降りた地上で取ったホテルの一室。隣のベッドには、一緒に地球へと降りてきたアレルヤが眠っている。
ぐっすりと眠っているアレルヤを起こすわけにはいかない。いつどんなときに急なミッションが入るかもしれないから、睡眠は取れるときに取っておかなければ。
自分の不用意な動作で気配に敏感なアレルヤを起こしてしまっていないかと心配したが、どうやらそれは杞憂で終わったようだ。隣からは規則正しい寝息が聞こえ、ほっと胸を撫で下ろした。


ごろり、となるべく音を立てないようにして寝返りを打つ。すっかり目が覚めてしまい眠れそうにもない。
窓に掛かったカーテンの隙間からほんの少し洩れる灯りは、きっと都会特有のまやかしの太陽の灯りで。自分の視界に映るものは、その眠らない灯りと室内を仄かに照らすフットランプの淡い灯り。それ以外は闇だ。
それから察するに、恐らくベッドに入ってから幾らも時間が経っていない。夜が明けるまでにはまだまだ時間が掛かりそうだ。
その事実が、目を覚ましてしまった原因と相俟って俺を更に憂鬱にさせる。
無意識のうちに零してしまいそうになる嘆息を、また慌てて喉の奥へと引っ込めた。


夢を見ていたような気はするが、どんな内容だったかははっきりとは覚えていない。
けれど。
眠りを妨げる要因になるような夢なんて、容易に想像が付く。どうせ、見慣れた夢だ。
さっき見ていたはずの、覚えていないはずの夢のワンシーンが何の苦労もなく脳裏を過ぎって行くことに、思わず、くっ、と苦笑が零れ落ちた。

黒い空。
灰色の瓦礫。
朱く染まった大地。
青白い肌をして動かなくなった両親と妹。

何度も何度も甦るあの情景。俺の眼に、脳に、心に、身体中の到るところに焼き付けられた記憶。
忘れられない。忘れることなんて許さない、と自分自身を戒めるかのように、繰り返し繰り返し苛む悪夢。

―――忘れることなんて、出来ねぇのにな。

あのことが、今の俺を作った原点。あの優しい人たちから貰った名前を捨てて、“ロックオン・ストラトス”として生きることを選んだ原因だ。忘れようったって忘れられるわけがない。無茶な話だ。
俺がソレスタルビーイングに入ったのも“ロックオン・ストラトス”になったのも、あのことがあったからなのに。そしてその無念を、復讐を晴らすためだけに。
“戦争の根絶”なんてのは、体の好い建前だ。本当は己の中の、このどす黒い感情を晴らすためだけのもの。


忘れることはないけれども、最近は以前に比べれば見る回数も減ってきていた。やはり記憶は薄れゆくというのが人としての業なのだろうか。いや、それでも俺は。忘れない。忘れられない。忘れるわけには、いかない。
それは、当時は毎日のように繰り返し繰り返し夢に見て、身体が眠ることを拒否してしまうくらいだったのに。
それでも。今宵見てしまったのは、久しぶりに地上に下りたせいか。それとも。

―――ああ、もうすぐ、だったな。

10年前に起こった悲劇の日。父が母が妹が、遠い遠い空へと旅立った日。一方的な暴力に全てを奪われてしまった日。
決して、忘れることが出来ない日。
それが無意識の内に、今夜の悪夢を呼び起こしてしまったのかもしれない。

室内は空調も効かせてある。シーツにも包まっている。だというのに。

なぜか身体は寒くて寒くて仕方がなかった。



「・・・・・・眠れない?」
ごそり、と隣で動く気配がした後、眠っていると思っていたアレルヤから声が耳に届いて一瞬身体に緊張が走る。そして、己の暗い思考に浸っていたところから呼び戻される。
知らず知らずのうちに、嘆息でも零していただろうか。
「・・・っ・・・・・わり・・・・・・起こしちまったか?」
暗闇の中、首を廻らせて応えれば、「ううん、気にしないで。」と少し眠気の纏った舌足らずな返答が返ってくる。ああ、やっぱり起こしちまったんだな。
背を向けていたアレルヤの方へと寝返りをうつ。けれど、恐らくこちらを向いているであろうアレルヤの顔は暗闇に紛れてしまって見えない。
「悪い、夢でも?」
至極、遠慮がちに発される言葉。アレルヤらしい。
「・・・・・ん、まぁな。」
苦笑い交じりに言葉を濁して答える俺に、アレルヤからは「そう。」と申し訳なさそうな返答が返ってくる。ああもう、おまえが気にすることじゃないのに。

ソレスタルビーイングには守秘義務がある。それによって、個人への干渉はなるべく控えてしまう傾向がどうしても否めない。
きっと、今のアレルヤも我とは無しに俺の内側に入り込もうとしてしまったことを申し訳なく思っているのだろう。
決められたこととはいえ、素直に話せないのはもどかしい。いや、口に出来るような内容の話ではないが。
話せない、言いたくない過去の一つや二つ、誰にだってあるだろう。アレルヤにも。刹那にも。ティエリアにも。
そうやって自分の奥底に潜む闇に言い訳をする。

それでも。
どんな理由を付けて自分を言い繕ってみても。

あの夢を見た後は、堪らなく人の温もりが恋しくて。


むくり、と身体を起こし枕を片手で引っ掴んで、ベッドから足を下ろし素足のまま数歩離れたもう一つのベッドの方へと歩み寄る。
「・・・・・ロックオン?」
訝しげなアレルヤの声を無視して、シーツを捲り上げそこへ身を滑り込ませる。
「ロ、ロックオンッ!」
俺の突飛な行動に驚愕の声を上げるアレルヤを更に無視して、掴んでいた枕を、ぽすん、とアレルヤの頭の横に置きそこへ自分の頭を乗せる。そしてそのまま、引き締まった腰に両腕を回して逞しい胸に顔を埋めた。
「・・・・・今夜だけ。いいだろ?」
ぼそりと呟いた懇願の言葉に、強張らせていたアレルヤの身体がゆっくりと腕の中で弛緩していくのがわかる。頭の上で、くすり、と笑う気配がしたあと、「はい。」と少し困ったような、それでも優しい声が降り注いできた。

有り得ない行動、だとは思う。
マイスターの中では年長者で、兄貴分を自負していて。こいつらから頼られるように、と心掛けているのに。
それなのに。
5つも年下のアレルヤの優しさに付け込んで、甘えて、こんな行動をとるなんて。年上の威厳なんてあったもんじゃない。
強くなりたい、何にも負けずに自分の足で立てるようになりたいと思う分だけ、弱い自分もいるわけで。

さらり、とアレルヤの指が後ろ髪を優しく撫でていく。それが気持ちよくて、思わず頬が緩んでしまうのがわかる。
優しく優しく撫でていく指。
それが、遠い遠い記憶の中に眠るものを呼び起こして、閉じている瞳の奥が、じん、と熱くなった。
「・・・・・ははっ、やっぱ狭い、な。」
照れ隠しと泣きそうな自分を誤魔化すために吐いた言葉。
ぴったりと身を寄せているっていうのに、ベッドには余幅があまりなさそうだ。
「そりゃあ・・・・・・大の男が二人一緒に寝るようなベッドじゃありませんからね。」
苦笑い気味に言うアレルヤの言葉も最もだ。
なんてったってツインの部屋を取ったわけだから、どうみてもベッドサイズはセミダブルより大きくはないだろう。そんでもって180cm以上の男が二人寝転べば狭いに決まってる。それでも。
「・・・・・でも、暖かい、ですね。」
アレルヤの言葉に、はっと顔を上げる。
けれど、アレルヤの顔は暗くて見えない。見えないけれど、その暗灰色の瞳が優しく細められているだろうことは、暗闇の中でもなんとなくわかった。
「・・・・・・・ああ。」
まったく、時々アレルヤにはしてやられる。俺の中の、この言い表しようのない感情がわかってしまっているのか。それとも、アレルヤも俺と同じ気持ちなんだろうか。

ああもう、そんなことはどうでも良くなってきた。
あれだけ冴えていた目も、瞼が降りてきて今にも閉じてしまいそうだ。
寒くて仕方がなかった身体も、指先からじんわりと暖かくなってきた。アレルヤの暖かさが伝わってきたんだろうか。その、優しい優しい暖かさが。
アレルヤの胸に付けた耳に響く、トクントクン、と規則正しい音が気持ちいい。なんだか、すごく安心する。
ああ、今夜はもうあの夢を見なくて済みそうだ。

悪ぃな、アレルヤ。
今夜は。今だけは。甘えさせてくれ。明日の朝にはいつもの俺に戻るから。

だから。


今はこの温もりを―――





2008.06