Relieved



目が覚める寸前の意識がふわふわと揺らいで、まるで宇宙の中を漂っているような感覚。
それは、あの生死の狭間にいたどうしようもない恐怖の記憶を思い起こしてしまいそうで、僕はその瞬間があまり好きじゃない。
途切れ途切れに覚醒しようとしている意識を無理矢理に繋ぎ合わせて、そして意識の次に身体の覚醒を促す。
僕は別段、寝起きが良い方でも悪い方でもないと思っているけど、こういう時は悪い方だと思う。身体は全身どんよりとした倦怠感に包まれ、気分がひどく悪い。
けれど、のろのろと開けた瞼の前に広がった視界に驚いて、一瞬にしてそんな気分は吹き飛ばされてしまった。




カーテンの隙間から覗く光は、都会特有の人工的な光ではなくて自然な太陽の光。それが、朝の訪れを知らせてくれている。
その一筋の光を浴びて、僕の眼の前に広がっている亜麻色の髪が更に明るく優しい色に見える。こんなに間近で見たのは初めてだ。

確かに、マイスターの中では彼と僕は背も同じくらいだから、他の二人に比べて一番間近で彼の髪を見ることは出来るけれど。
でも、それは一般的に隣に立ったり並んだりする場合、の話であって、今この近距離で彼の頭を見ることなんて、はっきり言ってしまえば異常事態だ。
それが、恋人同士という関係で、共に夜を過ごし朝を迎える関係なら当たり前のことなんだろうけど、生憎僕たちはそんな関係じゃない。まだ。
まだ・・・・・でもこれからは、ひょっとして、と思っているのは僕だけかもしれないけど。

だから、昨夜は突然彼、ロックオンが僕のベッドに潜り込んできた時は驚いた。ううん、驚いたどころじゃなかった。
そして潜り込んできた上に、ぴったりと身体をくっつけて僕の腰に腕を絡ませて・・・・・。

―――ああ、思い出しただけでも心拍数が・・・・・!

身体は昨夜眠りについたままの状態で、がっしりと抱きつかれているから身動きが取れない。というか、身動ぎ一つでもすれば、この目の前ですやすやと気持ち良さそうに寝息を立てている彼を起こしてしまいそうだから、身体は動かさずに、僕はただ眼だけをぱちぱちと動かしたり顔を赤くしたりしていた。
機から見れば滑稽な姿なんだろうな。


緩くウェーブのかかった柔らかい髪が僕の鼻先に触れてくすぐったい。微かに香ってくるシャンプーの香りが物理的にではなく、何だか心がくすぐったくなる感じがした。
ホテルに備え付けの同じシャンプーを使ったはずなのに、なぜか彼の髪から香ってくる香りは違うように感じる。甘い、甘い香りに。
それはきっと、僕の彼に対する気持ちのせいなんだろうけど。

―――やっぱり、見た目通りの柔らかい髪なんだ。

唯一自由に動ける左腕をそっと動かして、指先で彼のくるんと巻いている毛先を触れてみて改めてそう思った。
その柔らかい髪を一房手に取って指に巻きつけたり放したりして弄んでいたら、胸元で眠っている彼が“んんっ”と唸って身動ぎを一つした。

―――あ・・・・・起こしちゃったかな・・・・・

髪を弄んでいた手を止め、息を潜めて暫く様子を見ていると、彼はまた何事もなかったかのように寝息を立て始めた。
僕の不用意な、心の欲求そのままの行動で彼を起こしてしまったのかと思ったけれど、それは杞憂に終わったことに、そして彼が再び眠りの世界に戻って行ったことに安堵の嘆息を零した。



昨夜、実を言うと彼が起きたと同時に僕も起きてしまった。
どうやらこの改造された身体は、ほんの少しの動作や気配を感じるように出来てるらしい。本来なら忌むべきこの身体なんだろうけど、こういう時、いや昨夜の彼の異変に気付くことが出来たのはほんの少し、好ましく思った。

本当は彼が目を覚ました時すぐにでも声を掛けようと思った。
けれど。
その後の彼の思い詰めた雰囲気と、そして僕のことを気に掛けてくれている様子に、なんだか声を掛けづらくてタイミングを逸してしまった。
きっと、彼は過去の思い出したくもない夢を見てしまったのだろうと思う。僕が時々そうであるように。
だから、余計にほんの一言、たった一言が喉の奥に張り付いて出すことが出来なかった。

僕たちはいろいろな過去や理由、信念を持ってガンダムマイスターになることを決めた。そしてこの組織は、各々が持つ過去や個人の情報を秘匿することを義務付けている。
それは仲間に対して余分な感情を抱かせない為か、それとも自らの覚悟を堅固なものにさせる為か。
なんにしても、稀代の殺人者、テロリストになるのだから、それまでの歩んできた人生に決別するには必要なのことなのかもしれない。

それでも。
そんなに容易く決別することも忘れることも出来ないのが人間というものではないのだろうか。いくら過去を隠しても、名前を変えても、それをしたところで過去があってこそ今の自分があるのだから。
どれだけ望んでも変えられない事実。忘れられない過去。
それに今も僕は、そして彼も悩んで苦しめられている。そしてその思いに絡め捕られることによって、更に“戦争根絶”という途方もない目的を実行しようと思い固めるのは、なんて苦渋に満ちたことなのだろうか。


きっとロックオンにも言わない、言えないような過去をもっているはず。
それなのに、いつも明るく振舞って笑って場を和ませて、どうしようもないほど自分勝手な僕たちをフォローして。それでも持ち前なんだろうか、気にした風もなく笑う彼。
だけど。
時折その澄んだ空や海のように綺麗な碧色の瞳が暗い翳を落とすのを。端整に整った顔が苦痛に歪むことを僕は知っている。
そんな表情を、姿を見てしまった時、僕の胸は強い力で?まれるように痛むんだ。彼の痛みが、まるで自分のことのように。苦しくて痛くて。
だから、ロックオンにそんな表情を、姿をさせなくていいように。
その心の底にある澱を僕にも分けて。

けれども。
それは組織的にも許されないし、きっとロックオン自身も許しはしないだろう。
大人で、自分の足でしっかりと立っていて。脆くて弱い部分があっても他人に気付かれず隠してしまう、そんな人だから。
それでも、その脆さも全てひっくるめて“ロックオン”という人を受け止められるように。包み込めるように。
そんな大人になりたい。せめて隣に立つことを許される存在になりたい。
ずっとずっと、心の底からそう願っていた。



だからあの時、ほんの少し勇気を振り絞って。まるで初めて武力介入をした時、キュリオスに乗り込んだ時の緊張感に似たものを持って。
声を掛けたんだ。“眠れない?”って。
そんな一言が、沈んでいる彼の助けになるなんて思ってもいない。けれど、何かを起こさなければ何も始まらないし、言ってしまえば出たとこ勝負だった。

この組織に入るまで、僕は人の温もりなんて知らなかった。わからなかった。
けれど、こうやって甘えられて、触れられて、自分以外の暖かさを知って、すごく安心する、心が温かくなることを僕は知った。僕の中で眠っているもう一人が聞いたら、鼻で笑うかもしれないけれど。
でも、とても心地よいものだと知ったんだ。
だから、その温かさを一番教えてくれた彼に、ほんの少しでもそれを返せれば・・・・・そう思って出た行動だった。
それが予想以上の効果を生み出したのには驚いたけど。正直、嬉しい誤算だった。


目の前の幸せそうな寝顔に、思わず頬が緩む。ずっと、こんな穏やかな時間が続けばいい。
今はまだ、こんな些細なことしか出来ないけれど、少しでも早く貴方の力になれる大人になるから。僕の大好きな笑顔を守れるようになるから。
だから待っていて、ロックオン。

でも、今は。

この一時の安らぎを。大切に。





2008.06