いつかその腕を




『好きです。』

一切の迷いもなく、おまえはそう言う。


『愛しています。』

一遍の曇りもないその澄んだ銀灰色の瞳で俺の眼を真っ直ぐに見て、おまえはそう言う。


『ずっと、ずっと側に居させて下さい。』

懇願にも近い口調で、でも何故か酷く辛そうな表情で、おまえはそう願う。


だけど。
俺はその言葉に対して、眼を眇め口角の端を上げて偽者の笑顔を作るだけで何も答えることはしない。その願いに応えることが出来ないから。
だから笑うフリをして、その言葉を受け入れるフリをする。
それなのに、おまえを拒むことも否定もしないどころか、おまえを手放そうともせず、俺を優しく包んでくれるこの腕を失くしたくないと思う俺の心を知ったら、おまえはこんな俺をその腕で突き放すのだろうか。
そんな自嘲にも似た想いを抱きながら、それでもこの身をその腕に委ねてしまうのは愚かな自分。




一つの、誓いがあった。
それは鈍く光った凶器を手にして初めて人の命を奪った時から。この手を赤く染め上げてしまった時から。
この組織に入る前からずっとずっと決めていた、心の奥底に仕舞ってあった誓い。

全てが終わった時、その罪を、咎をこの身で、命を以って償う、と。

だから大切なものは作らないと。失って辛いものはいらないと。いざその時に、なんの躊躇いもなく咎を受け入れられるようにと。
その為に笑顔の仮面を被って、良い人を演じて、善人ぶって、先に他人の心に入り込むフリをすることによって誰もこの内側にに触れないようにしてきた。
ただそれは、自分がその咎を受ける前に失ってしまったら、恐らく自分が壊れてしまうのではないかと恐かったから。もう二度とあんな思いをしたくないから、と自分都合極まりないものだったのかもしれないけれど。
でも、残されたものの痛みは誰よりも知っているつもりだから。
だから大切な、愛おしいと思う存在は作らないと決めていた。

・・・・・決めていたのに。

そんな頑なに閉じていた俺の心に、おまえはじんわりと、まるでその遠慮がちに笑う笑顔にようにゆっくりと入り込んできて。そしていつのまにか、俺の心の中にちゃんと居場所を作ってしまっていた。
心の奥底には入れてはいけない、絆されてはいけない、のめり込んではいけないと頑なに拒みつつも、その逞しくて暖かい腕の中に包まれることをいつしか心地よいと感じるようになってしまっている自分もまた否定できないでいる。
張り詰めていたものが安らぐ瞬間。その腕に抱かれると、この心の奥底で渦巻く仄暗い闇も、醜い復讐心も何もかもかなぐり捨てて、ずっとこのまま心安らかにいられたら、と思ってしまう。
そんなことは許されないと、誰に言われるわけでもなく己自身に何度も何度も言い聞かせるけれど。それでも手放せなくて。
こんな俺でも、俺たちでも。これくらいの幸福感は与えられてもいいのではないか、と勝手極まりない自己解釈をして言い逃れている。
そんな相反する思いに葛藤しつつも、決してこの想いをおまえに伝えることはない。それは俺の年上としての矜持か。それとも最後の意地か。


だけど、いつか。
いつかその日が来たら、この腕を放さなければならない。それは最初から決めていたことだから。俺自身が決めた償いだから。
そんな身勝手な思いに、アレルヤを巻き込んでいることが常に罪悪感として付き纏うけれど、それでも、と自分自身を甘やかしてしまう己に反吐が出てしまう。俺はこんなにも弱い人間だったのか、と。

この両足で、一人で立っているはずだった。強い心を、意志を持っていたはずだった。
・・・・・いや、つもり、だったんだろう。どこか傲慢になっていたのかもしれない。
アレルヤと出逢って、言葉を交わして、一緒に戦って、その暖かさに触れて、強いつもりだった俺の心は脆くも崩れ去り、一人で立っていたつもりがいつの間にかアレルヤに凭れることを覚えてしまった。
失いたくない。離れたくない。
そんな願いが俺の心を満たしていき、いつしかアレルヤは俺の中でタブーとしていた大切な存在になってしまっていた。


それでも、やはり。
この咎は、俺自身のものだから。俺だけで償わなければならないものだから、と何度も何度も自分自身に言い聞かす。
そして、アレルヤを巻き込むことだけは出来ない。したくない。絶対に。と心の底から思う。
せめて暖かい思い出を持たないアレルヤだけは生き延びて、弾金を引かなくていい幸せな世界を知ってほしい、と切に願う。罪に穢れた俺だけれども、それぐらいは許されてくれないだろうか。

だから、俺はおまえの言葉にも願いにも応えることはしない。それがずるくて身勝手な俺の、アレルヤに対する精一杯の想い。
そんな俺の想いを聞いたら、おまえはきっと自分も一緒だと、同じ人殺しだからと。だから構わないと言うだろう。ひょっとしたら、自分も一緒にその咎を受けると言い出しかねない。アレルヤはそんな、優しい奴だから。

だけどな。
俺とおまえじゃ罪の重さも深さも違うんだ。断然に俺の方が奪った命の多さも、罪の数も重いに決まっている。
だから、おまえは俺の咎を一緒に背負うこともないんだよ。これは、俺だけの罪だから。

その腕に抱かれて、心の中で呟く。
だから本当は、この腕に抱かれるべきは俺なんかじゃない。アレルヤには俺なんかよりもっと相応しい人間がいるべきはず。
それなのに、今、この腕を我が物にしてしまっている俺は、更に罪をひとつ重ねてしまっているのだろう。
でも。
その罪ひとつすら甘んじて享受するほど、この腕の中は心地よくて、愛おしくて。その時が来るまでは誰にも渡したくはないと思ってしまうあたり、俺は相当我侭で自分勝手なのだろう。

だから。
いつかこの腕を放すその時まで。
こんなずるくて身勝手な俺を包み込んでくれ。
そして、その腕を手放してしまった時、俺のことを憎んで怨んで忘れ去ってくれればいい。
だから。

―――アレルヤ





暗い暗い漆黒の海。前後左右もわからない宙の中を漂う身体は全身がだるくて、指一本動かすことすら億劫だ。
弛緩させた身体を流れのままに任せていると、ふと眼の端を流星が流れたような気がした。いや、あれは、あの光は流星ではなくオリジナルの太陽炉が放つGN粒子だろう。

眼を眇めて眺めていると段々と近付いてくるのがわかる。
あれはきっとエクシア、刹那だろう。けれど、脳裏に浮かんだのは橙色の機体を操る愛おしい男。
『・・・・・・アレルヤ。』
力の入らない腕を伸ばして、そのGN粒子を掬うように手のひらを差し伸べてみる。呼び慣れた名前を呼んだ声は自分の耳には届かず、脳の中で響いた。もう、声を出す力さえ残ってないのか。

何処に向かって流されて行くのかわからない身体と駆けて来る機体は近付いているようで近付いていないのか、俺の眼には距離が一向に縮まっているようには見えない。
「・・・・・・アレルヤ。」
もう一度呼んだ名前は、今度は掠れてはいたけれど声に出すことが出来た。
本当は。
許されるならばアレルヤの願い通りに、ずっとずっと側に居たいと思っていたんだ。こんな俺でも愛してると言ってくれるおまえの側に。

だけどごめんな。やっぱりこの身は、この身がしたことは許されるべきものではなかったんだ。
だから。
愛しているとすら伝えられなかった臆病で自分勝手だったこの俺を、どうか。どうか忘れてくれ。


ああ、何だか寒いな。寒くて仕方がない。
もう一度、あの暖かくて安らぐ場所へ帰りたいよ。
アレルヤ、おまえのその、腕の中へ―――――


意識を失う瞬間、漆黒の空間が光に満ち溢れた気がした。





2008.07  
BGM:いつか離れる日が来ても