久遠



【2】


「アレルヤ?」
「・・・・・っ・・!」

踵を返し、立ち去ろうとした瞬間だった。名前を呼ばれて身体がびくりと震える。
4年ぶりに聞いた彼の声は、現在仲間である彼とよく似た、いや聞き分けが出来ないほど良く似た同じ声だけれども。それでも、やはりアレルヤの中では全く別のように聞こえた。4年前のあの日、何の言葉も交わさずに離れてしまった彼が再び自分の名前を呼ぶ声に胸が熱くなる。
気付かれたことによる驚きも若干あるが、それよりも感動の方が何倍も大きかった。心地好く響く彼の声が自分の名前を紡ぐ・・・・・その感動にアレルヤは目が潤むような気がして奥歯をぐっと噛締めて耐えた。
「アレルヤ?アレルヤだろ?」
再び自分の名前を呼ばれ、アレルヤはゆっくりと振り返る。
そのまま走り出してしまえば、彼の前から去ることは出来たかもしれない。けれどもアレルヤはそうしなかった。会うべきか会わないべきか迷いながらも、やはりアレルヤは心の底では彼に会いたかったのだ。そして彼に名前を呼ばれたことで、心の迷いは何処かへ行き、残ったのはアレルヤの純粋な望みだった。

「・・・お・・久しぶり、です。・・・・・ロックオン。」
何とか絞り出すように出した声。震えてはいなかっただろうか、微笑んだつもりで上げた口角は、ともすると引き攣ったような感覚で上手く笑えているだろうか、さり気なく装えているだろうか。アレルヤの胸中は忙しなく波立った。驚愕、動揺、歓喜。
確かに平静なんて装えるわけがないのだ。この4年間、会いたくて会いたくて堪らなかったその人が今目の前にいるのだから。
「久しぶりだなぁ、アレルヤ。元気そうでなりよりだ。」
アレルヤの心を知ってか知らずかロックオンは屈託のない笑顔で歩み寄ってくる。
近付いてくるにつれてより一層はっきりと見えるロックオンの姿は、本当に4年前から何も変わってないように思えた。その容姿も、口調さえも。
まるであの別離の時さえもなかったかのように。



茶でも飲んで行けよ、と勧められるがままアレルヤは家の中へと通された。一時は立ち去ろうとしていたアレルヤだったが、断る理由も見つからずロックオンの言葉を受け入れることにした。
通された家は外見通りあまり部屋数は多くなかった。小さなキッチンが付いたダイニングを兼ねたリビング、そして寝室と思われる部屋ともう一部屋あるくらい。
ぐるりと視線を廻らしたアレルヤは、ロックオン以外にこの家に住む人の気配がないことに、無意識ながら安堵の嘆息を零す。そんな自分に気付いて、何を考えているんだとつまらない思考を追い出すように頭を左右に振った。
適当に座っててくれ、と言葉を残しロックオンはキッチンへと向かう。残されたアレルヤは室内を見渡して、リビングに置かれている二人掛けのソファに目が止まった。そのソファ以外どこか腰を落ち着ける場所もなく、かといって床に直接座るのも憚られたので、仕方なくソファの端へ遠慮がちに腰を下ろすことにした。
落ち着いて室内を見渡せば、あまり物が置かれてないことに気付く。腰掛けたソファに目の前にあるローテーブルとテレビ。あとは本を読むことが好きな彼らしく小さな本棚が一つあるくらいで至ってシンプルな部屋だった。
そう言えば以前の彼の部屋もこんな風にあまり物がない部屋だったことを思い出して、アレルヤはその変わらなさに胸が安らぐ感じを覚えた。

アレルヤは暫く部屋を見回した後、キッチンに立つロックオンの背中を眺めた。
4年前のあの日から何も変わっていないと思っていた彼。だが近くで、隣を歩いて彼をよくよく見れば何も変わってないことはなかった。
擬似GN粒子で傷を負った右目は、治療を拒んだあの時のまま傷が残っていた。きっと視力も回復せずにほとんど見えてないのだろう。そのことは所作でなんとなくわかった。そしてあの美しい色をした瞳は少しくすんでしまい元の色を失っていた。その傷を隠す為か、前髪が右目を覆うように伸びている。
それから歩く時に右足を若干引き摺るようにして歩いていた。爆発に巻き込まれた時に負った傷なのだろうか。普段の生活にはそれほど支障はない程度だが、やはりMSに乗るにはどうしても支障が出てしまう。
今は再生治療さえ可能になった時代だというのに敢えてそれをしないロックオンに、アレルヤは彼らしいと思った。
更に、あの頃は射撃に影響が出ないように小さな傷すら恐れて手を保護していた手袋は、あの手触りの良い皮を鞣したものから粗悪な作業用の軍手に変わっていた。きっと庭にある畑の手入れをする際に使っているのだろう。傷一つなく白くて綺麗だった指先は、ほんの少し荒れていた。
そんなロックオンに、やはり彼はもうMSに乗って再び世界を変えようとする意志も、またソレスタルビーイングに戻る意志もないことを知ってアレルヤは胸がつきりと痛んだ。

「そういや、よくここがわかったなぁ。」
アレルヤが物思いに耽っていると、ロックオンはキッチンからアレルヤの元へとやって来た。
マグカップを二つ持ったロックオンがそう言いながら、片方をアレルヤに手渡して隣に腰を降ろす。手渡されたカップには琥珀色の液体がなみなみと注がれていて、豆を挽いてから淹れられたのだろう、湯気と共に匂い立つそれはとても良い香りがした。
アレルヤは琥珀色の液体を一口含んで喉を潤してから口を開いた。
「・・・・・えぇ、“彼”から聞きましたから。」
敢えて名前は口にせず“彼”とだけ告げる。きっとその言葉だけでロックオンに通じるはずだから、とアレルヤは思った。
「あぁそうか・・・そりゃそうだな。」
ロックオンがこの場所に住んでいることは、あの組織の中の人間でも知っている者は多くない。だからアレルヤにこの場所を教えられる人間は一人しか思い付かず、ロックオンは苦笑いを零した。

ただそれだけしか会話を交わしていないというのに、二人の間に沈黙が訪れる。
手にしたカップを再び口へと運び、こくり、と嚥下しながらアレルヤはこの沈黙に焦った。普段は沈黙も気にならない性格のアレルヤだが、過去ロックオンと過ごした時はこんな風になったことはなかった。いや実際はあったかもしれないが、その時は気にならなかったのだ。
それに加え、往々にして会話下手なアレルヤに対し、ロックオンは上手く会話をリードしてくれていた。そのロックオンも今はなかなか口を開こうとしてくれない。
4年ものブランクがあるのだ、お互い何から切り出していいのかわからない。4年前のあの時のこと、離れてから今日までのこと、そして今のこと。話したいこと、聞きたいことはたくさんあった。けれど何から口にしていいかわからない。
だがアレルヤは堪え切れずに意を決して口を開いた。
「あ、あの、ロック・・・・」
「ロックオンじゃねぇよ。今の俺は・・・・・もう、ロックオン、じゃねぇ。」
アレルヤの言葉を遮ると、ニールだよ、と少し悲しそうに、切なそうに笑ってニールはそう呟いた。
確かに『ロックオン・ストラトス』という名前はソレスタルビーイングの一員である時のコードネームだ。その組織を離れてしまった今、ニールは『ロックオン・ストラトス』を名乗る必要もない。そしてあれ以来、ニールは本来の名前、『ニール・ディランディ』として過ごしてきている。『ロックオン・ストラトス』であった時間は、もう過ぎ去ってしまったのだ。
それに、今ソレスタルビーイングには『ロックオン・ストラトス』が存在するのだ。ニールと同じ容姿をしているけれども、ニールではない『ロックオン・ストラトス』がいる。
驚くアレルヤに、な?と小首を傾げて笑うニールに、アレルヤはおずおずと頷いて、はい、と返した。
アレルヤもわかってはいたのだ。今目の前にいる青年がもう『ロックオン・ストラトス』ではないということは。けれど、まだどこか受け入れ切れてない部分があったのかもしれない。
自分と彼とでは、もう生きる場所が違うということを。彼はもう、ソレスタルビーイングの人間ではない、ということを。


「それにしても、アレルヤ、おまえ男前になったなぁ。」
それきり押し黙ってしまったアレルヤを見るに見兼ねてニールは話を切り出した。先程再会して以来、ずっと思っていたことだったし、会話の切り出し方としては気負う内容でもなくお互いリラックスできると思ったからだ。
あの時のアレルヤは年齢的には二十歳を向かえ大人としての区切りを迎えてはいた。普段から思慮深く、年の割には落ち着いていて大人びた雰囲気ではあったが、でもまだ少年臭さがどこか残っていた。それが今は精悍さを増し、より落ち着いた雰囲気を纏っていて、あの頃のあどけなさがもう感じられない。
加えて外見の変化も一因しているのだろう。その色を気にしてか顔の半分を覆っていた髪は短くなり、両目が露わになっている。金色の瞳と銀色の瞳。その異なった目が不思議ながらも何とも表現しがたい美しさを醸し出し、またその眼光の強さがアレルヤを更に大人に見せているのだろう。
「・・・・・あ、ありがとうございます。」
ニールの言葉に一瞬驚きの表情を見せたが、すぐにはにかんで笑うアレルヤはやはり以前の面影を少し残していた。そんなアレルヤに、ニールの顔も思わず綻ぶ。
(根本的なところは何も変わってないな・・・・・)
そう思ったニールは、久しぶりに会ったアレルヤに対しどこか緊張していたものがゆっくりと剥がれ落ちていくのを感じた。





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