久遠




【4】


―――生きていてくれてよかった

アレルヤの言葉に、ニールの心はつきりと痛んだ。
改めてあの時自分の取った行動が、仲間たちの、特にこの目の前の青年をどれだけ傷付けたのかと思うと後ろめたい気持ちで一杯になる。
確かにあの時はああすること以外、自分の気持ちを行動を抑えることは出来なかったとニールは今でも思っている。ガンダムマイスターになった原因とも言えるあの男を、自分の手でどうしても討ちたかった。復讐という心の中でどす黒く燃え上がるものを果たさなければ前に進むことが出来ないと、その為に執ってしまった行動だった。
後悔は、ない。けれども、心優しいアレルヤを、自分を愛していると囁いてくれる青年をここまで苦しめてしまったのかと思うと、無かった筈の後悔さえ心の何処かから湧き出してくる。
愛しているものを失う辛さは自分が一番良く分かっているつもりだった。もうそんな思いをしたくない、誰にもさせたくないと思っていたはずなのに。自分が取った行動は、間違いなくアレルヤを傷付け苦しめてしまった。
(ほんと、俺ってバカだよな・・・・・)
自分の手を握り締めたまま肩を小さく震わせているアレルヤを見て、ニールは己の罪の深さに唇をきつく噛締めた。

ごめんな、と呟いてニールは空いている手を伸ばしてアレルヤの頭を労るように撫でる。一見硬質のように見える濃緑色の髪は柔らかくサラサラとしていて、撫でる指先から通り抜けていく。
「・・・・・やっぱり、怒ってるか?」
自分の中では、あの時取った行動はどうしても避けては通れないものだったと思っているが、組織側から見れば私怨に走った行動以外には見えないだろう。決して許される行為であったとは思っていない。だから傷を癒すこともせず、MSに乗れなくなったことを理由に組織を離れた。組織を離れることはつまり、アレルヤとも離れてしまうこと。それすら咎の一つだと受け入れて。
実際のところ、仲間のことを考えもせずに勝手な行動をしてしまった自分に対して怒りや憎しみを向けられようとも構わないとニールは思っていた。寧ろ当然のことだと思っている。だが正直なところ、その感情を目の前で向けられるには、受け入れる覚悟がまだ出来ていなかった。特にアレルヤ、には。
あれから4年。その時間の経過をどう感じるかは人によって様々だ。長いと感じる人もいれば短いと感じる人もいる。ニールにとってその思いを消化する時間としてこの4年は、もう、ではなく、まだ、なのだ。
ニールの心の中にアレルヤの存在はまだ大きい。それどころか、離れてしまえば薄れていくと思った想いは尚更大きくなるばかりだった。だから、今この時点でアレルヤに怒りを、憎しみをぶつけられ嫌悪感を向けられてしまうのが恐い。
まるでどこの年端もいかない少女のようなことを考えているんだ、とニールは心の中で自嘲の言葉を吐き出した。
だから、訊ねた言葉もつい躊躇いがちな言葉になってしまったのだ。以前のロックオンとしての時より弱弱しい口調だったかもしれない。

ニールの言葉に、アレルヤは俯いたまま小さく頭を左右に振った。何度も、何度も。
「・・・・・そんな、こと・・・・ないっ・・・僕は、ただ・・・・・貴方が生きていてくれた・・・・だけでっ・・・・・!」
言葉を一つ一つ確かめるように口にするアレルヤの声は、どこか震えているように聞こえた。抑えていたものが一気に溢れ出てしまったかのように、俯いていたアレルヤの瞳からは透明な滴が一つ二つと零れ落ちて座っているソファに染みを作っていく。
本当に良かった、と未だ肩を震わすアレルヤにニールは困ったような、それでも嬉しそうな笑みを零してそっと震えるアレルヤを抱きしめた。
悪かったな、と抱き寄せたアレルヤの耳元で囁けば、アレルヤはまた小さく首を左右に振った。その際にアレルヤの後ろ髪がパサパサと音を立ててニールの頬を擽ったが、それすらも愛おしく感じられ、またこうやって再びアレルヤの体温を感じられることが嬉しくて、ニールは腕に力を込めて更に抱き寄せた。
またニールの手を握り締めていたアレルヤの手も、いつしかニールの背中に回されシャツを握り締めている。それはまるで、ニールの存在を確かめているかのように強く、強く。
真っ直ぐなアレルヤの気持ちが嬉しかった。きっと言葉にし切れない想いもたくさんあるだろうに、ただ自分が生きていてくれてよかったと繰り返すアレルヤの言葉がただただ心に沁みる。
その想いを少しでも伝わるように、とニールは腕の中で声もなく泣き続けるアレルヤの背中を何度も何度も優しく撫で続けた。
その涙が、渇くまで。


狭いソファの上で体格がいい部類に入る二人が抱擁しあうには体制的に辛いものがあったが、アレルヤが耐えた4年間のことを思えばこれくらいのこと、とニールはさして気にもせずにアレルヤの背中を撫で続けた。言葉一つない静かな時間だったが、この沈黙は何処も苦しく思わない。それどころか、心から何か温かいものが溢れてくるようだった。
そして暫く経った後、アレルヤは徐に顔を上げて身体を放すと、
「・・・・・ご、ごめんなさい、取り乱してしまって・・・・」
と頬を朱に染めて謝る姿は、どこか4年前の姿が被ってニールの頬は思わず緩んでしまう。見ればアレルヤの目尻は少し赤くなっていて、そっと指でなぞってやるとアレルヤは擽ったそうに眉尻を下げて微笑んだ。
「コーヒー、冷めちまったな。淹れなおして来るから、ちょっと待っててくれ。」
先程淹れたコーヒーはすっかり湯気の姿を消していて、ニールはマグカップを手に取るとキッチンへと向かった。
その後姿を追って、アレルヤはぽつり、ぽつり、と今まで心の中に留めておいた言葉を零していく。
「あの時、貴方が居なくなって目の前が真っ暗になって訳が分からなくなりました。正直なところ、どうして何も言ってくれなかったんだろう、って腹が立ったのも事実です。」
まるで独り言のように紡ぐアレルヤの言葉を、ニールは背中越しに聞いていた。アレルヤの言葉は棘のように心に刺さって痛い。けれどもそれを招いてしまったのは自分に代わりはないし、またそれを受け止めるのも自分しかいないのだ、とニールはサーバーの中に落ちていく琥珀色の滴を見つめながら黙って聞いていた。

アレルヤもこの留めておいた気持ちを言うべきかどうかずっと迷っていた。口にしてしまえばニールを責めているように聞こえるだろうし、また傷付けてもしまうだろう。けれどもどうしても、どうしてもニールに伝えたい気持ちがあった。アレルヤは今自分の中にある覚悟を、思いを言葉にして紡ぐ。
「だけど、ハロの中に残された戦闘データを見て思ったんです。あぁ貴方は、貴方の中に譲れないものがあってそれを果たしに行ったんだって。それは誰の力も借りれない、貴方だけでしか果たせないものだったんだって。・・・・・今、僕にもあの時の貴方と同じように誰にも譲れないものがあるんです。だから、貴方の気持ちがよくわかる・・・・・」
それでも言って欲しかった、僕の我侭なんですけどね、と締めくくったアレルヤの言葉は優しかった。そのアレルヤの優しさに、ニールの心は締め付けられるように痛む。苦しさじゃなく嬉しさで。
素直に嬉しかった。アレルヤの言葉が。気持ちが。
誰にも理解されない、されなくていいと思っていた自分の意固地な部分をわかってくれただけでも良かったと思うのに、更に自分を肯定してくれる言葉を貰えるとは思ってはいなかった。
アレルヤは温かい眼差しでニールを見つめている。けれどそんなアレルヤに背を向けていたニールの頬には一筋の滴が伝っていた。


「・・・・・あいつは・・・ちゃんとやってるか?」
淹れなおしたマグカップを手に戻ってきたニールの目は心なしか赤らんでいたけれども、アレルヤは気付かない振りをして首を縦に振った。
固有の名詞をニールは口にしなかったが、それが誰のことを指すのか容易に理解が出来る。ソレスタルビーイングの秘匿義務のことは、元構成員であったニールも勿論知らないわけではないが敢えて口にしてしまったのはやはり肉親の、それも今となっては唯一の家族を心配するあまりのことからだ。それにその容姿からも血の繋がりは誰にでも容易に想像出来ることなので、彼らにとってその辺りは秘匿義務もあってないようなものだろう。
「最初はやはり皆戸惑っていたようですけど・・・。でも今はすっかり馴染んで、頼りになる仲間ですよ。」
そんなところまでそっくりなんですね、と笑うアレルヤに、ニールは思わず苦笑いが零れた。確かに容姿は瓜二つな自分達だが、お互いから見れば性格等は若干違っていると思うのは当人達だけなのだろうか。
それでも自分が始めてしまったことに片割れを巻き込んでしまったことを後ろめたく思わないわけではないが、あの仲間達と上手くやっていてくれることにニールは安堵の嘆息を零した。





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