久遠
【5】
それぞれの想いを吐き出した後は、この4年間の空白がまるでなかったかのように以前と何も変わらない口調で、雰囲気で他愛のない話で盛り上がった。
それとなくこの4年間をどう過ごして来たかという話題も出たが、アレルヤは敢えて自身のことは語らなかった。まさか自分が捕らえられていたとはニールは想像もつかないだろうし、また言ってしまえば心配を掛けてしまうのは目に見えている。だから黙っていた。しかし、そんな自身のことを語らないアレルヤにニールは何かしら気付いてはいたけれども、敢えて訊ねることもしなかった。
お互いがお互いのことを気遣っているということはわかっている。けれども、敢えてそれを問い質そうとしないのもまた優しさなのだ。
本当に久しぶりの二人だけで過ごす時間。会話に夢中になっていると、気付けば窓の外は紅く染まり始めていた。陽の光を浴びて瑞々しく輝いていた緑たちも、傾き出した夕陽に照らされ憂いを帯び始めている。ふと時計に視線を向ければ、表示された数字は夕食の支度に取り掛かっても頃合を表していた。
「―――っと、もうこんな時間か。アレルヤ、夕飯食ってくだろう?」
そう言ってニールはソファから腰を上げ、キッチンへと向かう。
アレルヤもまたニールの言葉に自分も時間を忘れていたことに気付き、手元の時計に視線を落とし時間を確認すると、今まで会話をしていた時とは一転して悲しげな表情を見せた。しかし、既に背を向けてキッチンへと歩き出しているニールはアレルヤの表情に気付いていない。
ちょっとは腕上達したんだぜ、と自慢げに言いながら冷蔵庫を覗き込んでいるニールの表情はアレルヤの表情に反して楽しげだ。ニールにとってアレルヤと一緒に夕食を取るのは当たり前で、泊っていくことすら大前提だった。
以前は休暇が一緒になれば共に過ごしていたし、またニールが地上のセーフハウスで過ごしていれば休暇に入ったアレルヤが訪れてくることも多々あった。
だからニールは気付かない内にその感覚で、アレルヤが今日はそのままこの家に泊まっていくのだと思い込んでいたのだ。あれから無情にも時は経ち、また二人の状況も変わってしまっているということを忘れて。
すいません、と口にしたアレルヤの言葉はニールに届いていなかったのかもしれない。
「・・・・・僕はもう、戻らないと、いけないんです。」
一句一句区切りながら苦しげに口にしたアレルヤの言葉に、覗き込んでいた頭を持ち上げたニールの瞳は驚愕に見開かれていた。その表情を見てアレルヤの胸はつきりと痛み、顔を苦痛に歪める。
再会を果たし、言葉を重ね、お互いへの気持ちはあれから何も変わっていなかった。
けれども二人の今生きる場所、歩んでいる道は別たれている。
そのことを知らなかったわけではないが、この数時間の優しく穏やかな時間のせいでニールは忘れていたのだ。もう以前のようにアレルヤと過ごすことが出来ない、またその要因を作ってしまったのは他ならない自分であったということに、ニールはしないはずの後悔さえ湧き出てくるようだった。己の信念の結果さえこの青年への想いの前では簡単に揺らぐほど、自分のアレルヤへの思慕が強いことを今更ながら突き付けられたようにニールは感じた。
すいません、ともう一度口にしたアレルヤの表情は本当に申し訳なさそうで、ニール慌てて笑い掛けた。
「気にすんなよ。」
アレルヤの都合も考えずに、あの頃と同じままだと思い込んでいた自分が悪いのだから、と心の中で自分に言い聞かせて。
実際、アレルヤも出来ることならニールの希望通りに、いやニールが言ってくれなくてもそうしたかった。ずっと側に、彼といつでも一緒にいたいというのがアレルヤの常なる願い。
だけれども今日ここに来れたのは、明日行う予定のミッションの為に同僚に無理を言って先に地上へと降下させて貰い、時間を作ってニールの元を訊ねたのだ。これ以上の無理は言えない。自分はまだあの組織の一員なのだから、譲れないものの為に再びガンダムに乗ることを決めたのだから、とアレルヤは自分を戒めた。
アレルヤは戻らなければならない理由を口にはしなかった。けれども、ニールはそれについて言及することはしない。その理由は過去組織にいたニールには容易に理解することが出来た。
組織外の人間にはミッションについて口外することは出来ない。例え元構成員だったニールにさえも、だ。
そのことはわかる。わかるけれども、自らその組織を離れる決断を下したとはいえニールは疎外感を感じられずにはいられなかった。
「・・・・・また今度、ゆっくり来いよ。刹那やティエリアも連れて、さ。」
ソファから立ち上がっていたアレルヤに歩み寄り、声が震えるのを必死に抑えて笑い掛けたのはニールの必死な矜持だった。アレルヤに悲しい顔をさせない為に。自分が感じる淋しいという感情を悟らせない為に。
「・・・・・・・はい。」
そんなニールの気持ちに気付いているのかいないのか、アレルヤは眉尻を下げてそう返しただけだった。
戸口に向かうアレルヤをニールは言葉もなく見送る。何を言っていいのかわからなかった。また、何かを口にしてしまえば感情を抑える自信がなかった。ただアレルヤの背中を見ていることしか出来なかった。
アレルヤもまた、何も口にすることは出来なかった。やっと長い時間を経て再会を果たした愛しい人。ずっとずっとその傍らにいて、二度と離れたくないという思いは常に心の中にある。出来ることなら、いっそ彼を連れて・・・、いやそれとも自分が何かもかも放り出して・・・、と一瞬心に魔が差すけれども決して彼はそのどちらも許しはしないだろう。よしんば一時の感情で選んだとしても、後に彼は必ず後悔をすることになる。そんな思いを彼にはさせたくない。
ドアノブに手を掛けて、一瞬の逡巡の後。
アレルヤは振り返って両の眼で碧色の瞳を捉えると、ゆっくり微笑んで、
「・・・・・全てが終わったら、ここに帰って来てもいいですか?」
そう問い掛けた。
アレルヤの言葉に、ニールは一瞬意味が分からず呆けた顔になるがすぐにその意味を悟って満面の笑みで答えた。
「ああ、いいぜ・・・・・帰って来いよ・・・俺の、元に。」
「はい。」
アレルヤもまた嬉しそうに笑って頷き、そして力強く誓った。
「必ず、帰って来ます。そして、もう二度と貴方の側を離れません。ニール。」
アレルヤに初めて呼ばれる自分の本当の名前。その優しい声色に紡がれる自分の名前が、何だか無性に恥ずかしくて、どこか擽ったくて、でもとても幸せで。ニールは頬を薄く朱に染めた。
そしてどちらともなく顔を近寄せあい、触れ合った唇は同じ温もりだった。まるで口には出せないお互いの気持ちも、何もかもが一緒であるかのように―――
小さくなっていく後姿を、ニールはずっと見詰めていた。視線を逸らすことなく只々その眼に焼き付けるように。
また去り行くアレルヤも扉の前に佇むニールを何度も何度も振り返りながら、それでも前へと歩を進めて行く。
戦場を去ったニールは、再び戦場へと戻るアレルヤの背中を見送ることしか出来ない。それがこんなにも辛いものとは、とニールは痛む胸に手を当ててぐっと握り締めて耐えた。
けれども彼は帰って来ると言った。また自分も帰って来いと伝えた。
戦場に身を置く彼の命は明日をも知れない命だ。交わした言葉も儚い約束かもしれない。それでも、とニールは思う。
彼の言葉を信じ、何時までも何時までも。この場所でアレルヤの帰りを待とう、と心に誓った。
久遠の誓いを胸に―――
翌日、ニールは庭に出て作業をしていた。手を休めながら、度々空を見上げて。曇り空が多いこの国には珍しく、今日は抜けるような青空が広がっていた。
何故か予感があった。昨日、アレルヤと交わした約束は一つしかない。けれど確信していた。
その根拠のない確信を胸に、何度目かの頭上を見上げた時。
遠くからどこか聞き覚えのある、少し甲高い機能音が耳に届いた。
片方しか見えていない眼で、空に浮かぶほんの小さな雲さえ見つけるように必死に眼を凝らす。すると、緑色の粒子を纏った小さな機影がこちらに近付いてくるのが眼に映った。その飛散する淡い色の粒子は、ニールにもよく見覚えのあるものだ。小さかった機影が近付くに連れて、その姿がはっきりと視認出来るようになってくる。
姿を現した機体は飛行形態を取っていて、そのカラーリングもニールの眼にはっきりと映った。橙色の機体だ。
それはニールの記憶の中にある機体とは若干姿形を変えていたけれども、ニールにはわかった。何より、あの橙色は彼のパーソナルカラーだ。姿が変わっているのは、この4年間で新たに開発され以前の機体より進化しているからなのだろう。
眼を逸らさずに見詰めていた機体は、近付くにつれ高度を下げてくる。そしてニールの頭上まで来ると、何かを伝えるようにぐるりと旋回して飛び去って行った。
遠退いて行く機体。どこまでも続く蒼の中に浮かぶ橙は映えて力強く、そして美しく眼を惹きつけて止まなかった。
ニールはその飛び去って行く機体の姿が空の彼方に溶け込むまで見詰め続け、そしてそっと呟いた。
「いつまでも、待ってる・・・・・だから、必ず帰って来い。」
久遠・・・何時迄も。永(とこし)えに。永遠。
2008.09