夢想花



―――いつか一緒に見に行こう。

そう約束、したね。



開いた目に飛び込んできたのは、陽の光りを浴びて鮮やかに煌く一面の緑。視界いっぱいに広がるそれは、まるでこの世界の果てまで続いてるのではないかと思うほど、どこまでもどこまでも続いていた。
少し上に視線を上げれば、そこにはまた抜けるように蒼い空が広がっていて、まるで宙から見下ろしたこの惑星(ほし)を思わせるような色だと思った。
その先を追った視線のずっとずっと先の、この足が踏みしめる大地の緑と頭上に広がる空の蒼が一つになる場所はその二つの色が交じり合っていて、僕の大好きな彼の瞳の色をしていた。


(一体ここはどこなんだろう?)
もう一度視線をぐるりと廻らせてみても、遮蔽物がなにもないここはやはり一面の緑と蒼が広がるばかりで。ただここはあの暗く静かな宙ではなく、生命が息づく母なる惑星(ほし)であることだけはわかる。
けれど、僕はここを訪れたことはないはずだ。記憶に残っている限り育ったのは宙にあるコロニーだったし、地上に降りたとしても限られた場所でしかなくて、こんなに美しい景色を眺めた覚えなんてない。
ふと、ある記憶が甦る。
この目の前に広がる景色は確かに自分の目で直接見たことはないけれど、でも確かに僕は知っている。
(どうして知っているなんて思うんだろう?)
見たことがないはずなのに記憶の中にあるこの風景。なぜかぼんやりしている頭の中で一生懸命その記憶を探ってみるけれど、思い出せそうで思い出せない。思考が上手く繋がってくれない。

思考の海を彷徨っていると、さわり、と風が吹いて僕の髪や足元と木々の緑を優しく揺らしていく。そしてその風が過ぎ去ると同時に、突然隣に人の気配が現れた。
(いつの間に・・・・・!?)
僕がこの場所にいることに気付いてから、僕以外の人の気配なんて感じられなかった。それに人為的に弄られた僕の身体は、ほんの小さな人の気配や動作を機敏に感じ取れることが出来る。それなのに、隣に立たれるまで気付かなかったなんて・・・・・!
その不審さに僕の身体は一気に警戒を高め、反射的に身体を動かそうとしたその時だった。
『綺麗な景色だろう?なぁ、アレルヤ。』
耳に届いた優しい声色。甘えるような、親しい人と言葉を交わす時にみせる少し語尾を延ばした口調。・・・・・僕は、知っている。心地好く響くこの声、この喋り方。忘れるはずなんて、ない。だって、大切で大切で、世界中で一番大好きだった彼の声。その甘く優しい声で僕の名前を紡いでくれるのがとても好きだった。
でも、そんな彼は・・・・・。
僕の記憶と今起こっている現実に頭が混乱する。けれど、相変わらず僕の頭の中はぼんやりとしていて上手く物事を組み立てられない。ならばいっそ、と僕の望みの方に賭けて身体に走った緊張を少し解き、そろり、と隣に立つ声の主を一瞥してみれば、そこにはやはり僕が思っていたとおりの彼が立っていた。


彼は目の前に広がる景色を、まるで愛おしいものを見るように優しい目をして眺めている。その大地に息づく緑と頭上に広がる空の蒼を混ぜ合わせた色の瞳を眇めて。その姿に僕は目の奥が熱くなるのがわかった。
よかった、無事で。きっとあれは僕が見た夢だったんだ。なんて酷い夢を僕は見たんだろう。
僕は記憶の中の出来事を否定して、今目の前の現実を肯定する。だってあんなこと、起こるわけがないじゃないか。
「・・・・・よかった。ロックオン・・・」
思わず吐いて出た言葉に、隣に立つロックオンは、ん?と首を傾げて問い返してくるけれど、僕はそれに首を振って返した。だって、あれは僕の見た悪い夢だったんだから。今貴方がここにいてくれることが全てなのだから。

さわさわと吹き抜ける風を気持ち良さそうに目を閉じて感じているロックオンの姿を、僕は瞬きをすることも忘れて見入っていた。きっとあんな夢を見たい所為なのだろう、今の彼の姿を目に、脳裏に焼き付けるように。なぜか無意識の内にそうしていた。
吹いていた風が止むと彼はその碧色の瞳を露わにして、またこの風景を愛おしむように見つめる。すると、何かを思いついたように突然腰を折り、足元に生える緑を一つ手に取り僕に差し出してきた。
「・・・・・これは?」
差し出されたものを受け取って掌に乗せて見れば、それは小さな葉が三つついた草花。
『シャムロックっていうんだよ。この国にはあちこちにあるんだぜ。』
葉が三つに分かれているのは三位一体を表しているんだ、と教えくれた彼はなぜか悲しそうな顔で、僕の掌の上のシャムロックを見つめていた。

どうして?どうしてそんな顔をするの?僕は貴方のそんな顔なんて見たくないのに。
だから誤魔化すように、
「本当に、綺麗ですね。」
と、もう一度広がる景色を見て心からの感想を口にすれば、だろう?と嬉しそうに笑うロックオンの笑顔はとても綺麗で美しくて。その笑顔に目を奪われ、そしてまた僕も釣られるように笑っていた。
そう、貴方は笑っていて。悲しい顔なんて、貴方には似合わないから。



『約束、だったもんな・・・・・いつか一緒に見ようって。』
呟いたロックオンの言葉に僕ははっと彼の顔を見ると、そこには優しい笑顔で、でもやっぱりどこか悲しそうな瞳をしているロックオンの姿。
そう、いつだったかどういう経緯でだったか今は思い出せないけど、約束したことがあった。あれはどうしてだったんだろう?
必死になってそのときのことを思い出そうとしてみるけど、やっぱり思考は上手く動いてくれない。
『・・・・・こんな形になってしまったけど、守れてよかったよ。』
僕が何も言えない間に、どんどん言葉を紡いでいくロックオン。
ちょっと待って。こんな形ってなに?どうしてそんなに淋しそうな顔で言うの?
『おまえと一緒に見れて、よかった・・・・・』
そんな・・・そんなこれが最後みたいな言い方しないで!また一緒に見に来ようよ・・・・お願いだから!
浮かんでくる言葉は何一つ口には出来なくて、代わりに彼を見つめる目が熱くなって潤んでいくのがわかる。そんなもどかしい思いを抱えているのが伝わったのか、ロックオンは困ったように笑って、その手を伸ばして僕の頬に触れてくれた。優しい優しい手付きで。
その手の優しさに、湛えていたものが僕の目から一滴溢れ出した。

『ごめんな。』
その一言が僕の目から滴を次から次へと溢れ出させる。
そう、僕は本当はわかっていたんだ。これは夢だってこと。否定したことが真実だってこと。
貴方が・・・・・・いなくなってしまった、ことを。
でも認めたくなかった。
『ごめんな、アレルヤ。』
もう一度繰り返された謝罪の言葉に、僕はただ首を振って応えることしか出来なかった。何も口にすることが出来ない。僕の中で渦巻く気持ちも想いも、何も言葉にすることが出来ない。

そう、思い出した。
あれは偶然故郷の話になったとき、ロックオンが生まれ育った土地は緑が溢れて美しい場所だと教えてくれた。コロニーで育った僕はそれが羨ましくて憧れて。一度見てみたいと言った僕に、ロックオンは地上に降りた際端末を使ってその景色の映像を撮ってきてくれた。そしてその映像を僕に見せながら、いつか一緒に見に行こう、と彼が言ってくれたのだ。
その小さな小さな約束を覚えていてくれたこと、そしてそれを心残りのようにしていてくれて、こうして、例え夢の中だとしても叶えてくれたことが堪らなく嬉しい。そして、悲しい。
俯いて涙を零す僕の頭をロックオンはゆっくり優しく撫でてくれる。顔は見えないけれど、きっとまた困ったように笑っているんだろう。そんな人だから、貴方は。そんな人だから、僕は好きになったんだ。


ざわり、と今度は強めの風が吹いた。
その風に僕は何か嫌な胸騒ぎを感じて顔を上げれば、ロックオンは何かに呼ばれたようにどこか遠いところを見ていた。その姿に更に胸騒ぎを感じ、そして何かを悟った。
『・・・・・俺はちょっと先に行くけどさ』
「待っててください!」
僕はロックオンの言葉を遮って叫んだ。わかってる、この夢がもう終わるだろうことを。そして、ロックオンが行くべき先を。
「待っててください。僕も必ず貴方の元へ行きますから。」
言い切った僕をロックオンは呆気に取られた顔で見た後、すぐに笑って
『・・・・・ああ、待ってるよ。でもあんま早く来んじゃねぇぞ。』
来たら追い返してやるからな、と言葉にして、更に強く吹いた風と共にロックオンの姿は僕の前から消えていった。
「・・・・・・はい。でもいつか、必ず・・・・・」
残された僕は、一面の緑の中で溢れる涙を拭おうともせず彼が消えていった空を見上げていた。どこまでもどこまでも蒼い空をずっと、ずっと。




目を開ければそこは暗闇だった。トレミー内の僕の部屋だ。
(・・・何か夢を見ていた気がする。)
ベッドの上で横にしていた身体の半身を起こして、僕は頬が濡れていることに気付いた。
(・・・・・・涙?)
頬に指を当ててみれば、幾筋もの涙の後。そして思い出す。さっき眠りの中で見ていたものを。
(ああ、そうか・・・・・・僕は彼と二人であの景色を・・・・・)
また新たに両の目から涙が一筋二筋と零れ落ちてゆく。僕はそれを拭うこともせず、ただただ声を押し殺し彼を想って泣き続けた。


一面の緑と貴方の笑顔は、夢が覚めると同時に儚く散っていった―――





2008.09