Smoking☆Complex
トレミーの中を移動していたアレルヤは、ふと嗅ぎ慣れない匂いが鼻に衝いた気がした。
ふわり、と微かに漂ってきたそれは悪臭とは言えるほどのものでも眉を顰めるほどの強い匂いでもない。だがアレルヤにとっては経験のない匂いで、例えるならばそう・・・何かを燃やしたような焦げたような類いであることはわかった。
(何の匂いだろう?何か焦げ臭い?)
レバーを掴んで移動していたアレルヤは、グリップから手を離してその場に足を下ろす。辺りをきょろきょろと見回してみても何か特に変化は見当たらない。気のせいだろうか、とも思う。
(でももしどこかショートとかしてたりしたら・・・・・大変だ!)
このトレミーは、現代の水準からは考えられないほど進んだ最新鋭の技術を以て作られている。またメンテナンスも腕の良い技術者が常に注意を払って行っているから、まずそのようなことはないだろう。しかし万が一、ということもある。そしてその万が一が起きてしまった場合、小さな火花から大きな炎と変化してしまえば・・・・・この艦が浮かぶのは宇宙だ。大惨事になることは間違いない。
アレルヤはその万が一を想像してしまい、慌ててその原因を突き止めるべく艦内をさ迷い歩き出した。
くんくん、とまるで犬のように鼻を利かせて匂いが濃い方へ濃い方へと移動していく。微かな匂いだから気付かないのだろうか、誰ともすれ違うことがない。やがて行く先に通路は絶え、あるのはアレルヤもよく利用する展望室だった。
(・・・・・え?まさか、展望室から?)
行き当たった部屋の意外さにアレルヤは驚いた。まさか、という思いだ。
展望室は良く訪れる為、造りや配置も把握しているつもりだ。特にこれといって何かがある部屋というわけでもない。アレルヤはますます不思議に思った。
(展望室からなんて・・・・・)
「でも一応確認しておいた方がいいよね・・・」
誰に問うでもなくアレルヤは一人そう呟いて、目の前の部屋に足を踏み入れた。
入った途端、何かが焦げたような匂いは一層強く鼻に衝いた。やっぱり、とアレルヤは思う。この匂いの原因はこの展望室からなのは間違いなさそうだ。
(じゃあこの部屋のどこから?)
と更に匂いの発生場所を突き止めようとアレルヤは室内に視線を巡らせて・・・・・部屋の片隅で座り込んでいる一人の姿に目が止まった。
「・・・・・・ロックオン?」
「げっ!あ、あああああああああ、アレルヤぁ!?」
自分と同じマイスターであるロックオンの姿を見つけたアレルヤはその姿にそっと声を掛けると、名前を呼ばれたロックオンはびくりと肩を揺らした後、入口近くに立っているアレルヤを見上げて叫んだ。
若干声がひっくり返ってるように聞こえるのは、ロックオンが動揺しているせいなのだろうか?
「え?・・・・あ、あの・・・・ロックオン?」
普段の彼からは想像出来ない程の動揺さ加減に、かえってアレルヤも驚いてしまう。こんなに焦るロックオンは見たことがないかもしれない。
呆気に取られるアレルヤを尻目に、ロックオンはなぜか視線を移ろわせどこか落ち着きがない。しかも右手が不自然に背後に回されていて何かを隠しているようにも思える。
「な、なんでもないっ!なんでもないんだよ、アレルヤっ!」
慌てて取り繕うように発された言葉もどこか言い訳くさく聞こえ、そのロックオンの所作と併せて何か不審なものを感じたアレルヤは、無言でつかつかとロックオンに歩み寄った。
「ア、アレルヤ?」
「なに隠してるんですか。」
すごい勢いで自分の前にやってきたアレルヤに恐る恐る声を掛けてみたが、それにすら畳み掛けるように問い掛けてくるアレルヤにロックオンは思わず後退りを試みる。が、最初から壁に凭れていたような格好でいた為、もうこれ以上後退することも出来ない。
「な・に・か・く・し・て・る・ん・で・す・か。」
焦ってどうにかこの場を切り抜けようとロックオンは辺りを見回してみるが、前に立つアレルヤのまるで逃すものかと一字一字強調された言葉と何よりその据わった目に、何か背中を冷たいものが流れていく。誤魔化そうと笑ったつもりの顔は、ひくりと引き攣っているのが自分でもわかった。
そしてその迫力に、ロックオンは遂に観念して隠した右手のものをアレルヤの前に突き出すことにした。
「ああ、この匂いの原因は煙草だったんですね。」
ロックオンと同じように床に直接腰を下ろし隣に座ったアレルヤは、さっきまでの迫力はなんだったんだと思わず言いたくなるほど穏やかな口調で一人納得していた。
反対にロックオンはというと、5歳も年下のアレルヤにいいように詰め寄られたのが気に食わないのか不貞腐れた顔で手にしていた煙草を咥えている。
「・・・ったく、そんなおっかない顔して問い詰めることもねぇだろ・・・・・」
ぼやくように吐き出された言葉は拗ねているようにも聞こえ、アレルヤはロックオンのその言葉にくすりと笑って、すいません、と謝った。拗ねた態度が普段のロックオンからは想像が出来ず、こんな一面もあったんだ、と新しい発見を喜ぶかのようにアレルヤの心は躍った。そしてまたそんな態度をとるロックオンが可愛いと思うものの、その言葉はアレルヤの心の中に留めておく。口にしたら更に拗ねさせてしまいそうだ。
「それにしても、そんなにも匂うかぁ?」
ロックオンは言葉と共に吐き出した紫煙を見つめながらアレルヤに問い掛けた。ロックオン自身も多少なりとも気にはしていたのだろう、頭上には換気のためのダクトがある。きっと少しでも匂いを消す為、わざとその場所を選んで喫煙していたのだろうということはアレルヤにもわかった。
「・・・・・えぇ、嗅いだことのない匂いだったので少し気になって・・・・・」
僕が普通の人とは違うからかもしれませんけど、とダクトに吸い込まれていく紫煙を見つめながら呟いたアレルヤの言葉には自嘲の意味が含まれていた。
その意味を感じ取ったロックオンは左手の甲で、こつん、とアレルヤの頭を軽く小突いて。
「ちげぇよ、ばぁーか。」
軽い調子で吐かれたその言葉には、気にするな、というロックオンの気遣いが含まれていた。
暫くの間、ぼんやりと窓の外に広がる漆黒の宙を眺めていた。
するとロックオンが何本目かになる煙草を取り出そうとした時、アレルヤは意を決したように口を開いた。
「ロックオン。僕も一本、吸ってみてもいいですか?」
「んあ?」
思わぬアレルヤの言葉に、ロックオンは間の抜けた声を発して目を見開いた。まさかアレルヤがそんなことを言い出すとは思っていなかったのだ。
だがそれはロックオンのただの思い込みにしかすぎない。育ちのせいか実年齢の割に物事を知らないアレルヤだが実際のところ好奇心は旺盛な方で、ましてやロックオンがしていることなら自分もやってみたいと思っている。だから元々は興味の少なかった煙草も、ロックオンが吸っていたことにより興味が大いに湧いてしまったのだ。
「いけませんか?」
訊ねたアレルヤに、ロックオンは歯切れ悪くあー、だの、うーなどと唸っている。
自分が吸っていて言うのも何だが、決して身体にはいいものではない。出来ればアレルヤにはこんなものを覚えて欲しくないというのがロックオンの考えだ。
「・・・・・あー・・・・・でもこれは大人になってからでないと」
「僕はもう二十歳になりました!」
苦し紛れに思いついた言い訳は速攻でアレルヤに否定された。アレルヤが二十歳を迎えたということを忘れていたわけではないが、どうにもこうにもロックオンの中ではアレルヤはまだ子供扱いなのだ。そのことムキになって否定する辺り、アレルヤもまた大人になりきれてはいないのだが。
あきらめさせるつもりが選ぶ言葉を失敗したし、何よりアレルヤは見かけによらずかなり強情だ。言い出したら頑として聞こうとしないことは、ロックオンは今までの付き合いの中で十二分に知っている。なので結局、仕方がないとばかりに溜息を零して持っていた箱をアレルヤに差し出した。
アレルヤが箱から中身を一本取り出して、ついでにとロックオンも一本取り出して咥える。初めて手にした白くて細い筒状のそれを、アレルヤは興味深げに眺めていた。
「ん。」
とライターを目の前に差し出してやればアレルヤは慌てて煙草を咥えたので、カチリ、とライターに火を点してやり、その煙草に火を点けた瞬間・・・・・
「!? う゛・・・・・っげほっごほっ・・・」
案の定咽始めたアレルヤにロックオンはやっぱりな、と苦笑いを零して咽続けるアレルヤの背中を擦ってやる。
火を点ける前にちゃんと吸い方を教えてやらなかった自分が悪いとは思うが、これで二度と吸いたいとは言い出さないだろうというロックオンの下心だった。出来ればアレルヤには自分のようになって欲しくない、というロックオンの勝手な思いだが。
まだ火の点けていない持っていた煙草を箱の中に戻し、ロックオンはアレルヤの手から火の点いた煙草を取りそれを口に運んで吸い込み、そして大きく吐き出した。
「・・・・・けほっ・・・・・な、何でこんなものを吸うんですか?」
まだ苦しいのだろう、咽ながら訊ねてきたアレルヤの目には苦しさからか薄っすらと涙が浮かんでいた。その問いに、ロックオンはもう一度大きく吸い込んでゆっくりと紫煙を吐き出しながら言った。
「・・・別に意味があって吸ってるわけじゃねぇよ。まぁ・・・一種の依存、みたいなもんかな。マイスターに選ばれてからは止めてたんだけどさ。この間地上に降りた時に買っちまって・・・・・残りを捨てんのも勿体無いから吸ってただけだ。」
そう言葉を紡ぐロックオンの目は外に広がる宇宙ではなく、どこかもっと遠い所を見ているような気がする、とアレルヤはその横顔を見ながら思った。
饒舌に喋ってはいるけれど・・・きっと、何かあったのだろう、依存したくなるような・・・何かが。
アレルヤはもうこれ以上何も問えなかった。
「さぁて、今日はこれくらいにしとくか。」
短くなった煙草を携帯用の灰皿に押し付けると、ロックオンはそう言って立ち上がった。箱の中にはまだ数本の煙草が残っている。
これは?とアレルヤは見上げながら目で問うと視線が合ったロックオンは、また今度な、と笑った。どうやらもう今日は吸うつもりがないようだ。
「じゃあ、次も一緒していいですか?」
アレルヤも立ち上がりながらそう訊ねれば、ロックオンの目は驚愕に見開かれる。まだ吸うつもりなのか?とその目が訴えているようだ。
「僕はもう吸いませんけど。」
こりごりです、と笑って肩を竦めて否定すれば、ロックオンは安心したようにあからさまに肩を落として息を吐いた。アレルヤはただ、どんな時でも、少しの時間でもいいロックオンと一緒に過ごしたいのだ。
「ああ、構わないぜ。」
そんなアレルヤの意を汲み取ったのだろう、ロックオンは笑って快く了解してくれた。
笑ったロックオンの口からは、さっきまで吸っていた煙草の匂いがほんのりと香ってくる。けれどもそれは嫌な匂いじゃない、とアレルヤは微笑みながらそう思った。
別れ際、このことはティエリアには内緒な、とロックオンはこっそりとアレルヤに耳打ちしてきた。
確かにこのことがティエリアに知れれば、自分にも他人にも厳しい彼は間違いなく憤慨するだろう。関係はないのにマイスターとしての資格も問われそうだ。
わかってますよ、とアレルヤは笑って返した。だが本当は、ロックオンと自分だけの秘密を持てたことがアレルヤは嬉しかった。
でも、なぜかティエリアにばれて怒られるのはまた後日のお話・・・・・
2008.10