innocent memory
ソレスタルビーイングの母艦内、展望室と呼ばれる一室の中で流れる宇宙を眺めながら紫煙を燻らす。
俺がこの組織に入って、『ロックオン・ストラトス』と名乗るようになってもうどれくらい経つか。ケルディムと呼ばれる狙撃型ガンダムに乗って武力介入をすること数回。それが早いのか遅いのか、実際のところ俺にとってはあまり感覚がなかったりする。
右手の人差し指と中指に挟んだ煙草を咥えてすぅっと息を吸い込めば煙草の先は、ジジッ、と音を立てて紅く灯った。一呼吸おいて、肺の中に入り込んだ煙をゆっくりと吐き出せば、紫煙は頼りなく揺れて上へ昇り換気口へと吸い込まれていく。
この組織に入って聞いた兄さんの最期。
あの人の魂もこの煙のように、眼前に広がる広大な宇宙の中でたゆたっていたのだろうか。そしてその辿り着く先が父や母、妹のいるところだといい。あの人は最後失った家族の為に戦ったらしいから。特にこれと言った感情を俺は持ち合わせていないけれど、それでもせめて肉親としてはそうあって欲しいものだと思う。
俺は別にあの人の意志を継いで『ロックオン・ストラトス』を名乗ることにしたわけじゃない。俺には俺の目的があるからそうしたわけであって、決してあの人と同じようになろうとは思ってはいない。
それでも、この組織の人間は『ニール・ディランディ』の『ロックオン・ストラトス』を俺に求める。
確かに俺たちは双子で、容姿も声も良く似ていた。ここ数年は会ったこともなかったから、『ロックオン・ストラトス』であったあの人がどんな姿をしていたかは知らないけれど、大きくは変わらないだろうとは思う。
だが俺は俺、あの人はあの人だ。同じ姿形はしていても全くの別の個体なんだ。一緒のように思われるなんて冗談じゃない。
初めて会った時の驚きはわかる。暫くの間、戸惑うこともまだ許してやろう。だが、あの菫色の髪をしたティエリアという奴に、事有る毎に『ロックオンはそんなことはしない』と言われるのには我慢がならない。
何度、俺は『ライル・ディランディ』だ、あの人じゃない、と叫んでやろうかと思った。一緒にするな、俺たちは別の人間だ、と言われる毎に思う。
それでもそれを口にしないのは、俺自身の目的を果たす為か、それとも認めたくはないが、俺自身がどこかあの人に近付きたいと思っているためか。正直、俺自身にもわからない。
そんなことをぼんやりと考えていたら持っていた煙草はいつの間にか短くなっていて、俺は左手に持っていた携帯灰皿に慌てて煙草を押し付けた。
(何を考えてんだか。)
らしくもなく感傷的になっちまったかと自嘲的な笑みを零して、深い深い嘆息をひとつ、零した。窓の外を流れる暗い宙を眺めていたからこんな気分になってしまったのか、と重い腰を上げてこの部屋を出ようとしたその時だった。
シュン、と空気の抜ける音がして扉が開く。誰もこの部屋には入ってこないだろうと勝手に思い込んでいた俺は驚いて入り口に視線をやれば、そこには金色と銀色の瞳を持った、俺と同じマイスターが立っていた。
「っ!?・・・・・あ・・・・・ロックオン・・・・」
「・・・・・・あぁ、アレルヤ、か。」
アレルヤも俺と同じようにこの部屋には誰もいないと思い込んでいたのだろう、酷く狼狽していた。
だが、この狼狽している理由はそれだけではないと知っている。アレルヤもまた、他のクルーと同じような目で俺を見ているからだ。それに加えて、皆にはないもう一つの理由・・・多分、個人的な感情を含んだ、何か。
「・・・貴方も、ここで外を?」
アレルヤは狼狽した表情を一瞬で消し、穏やかな口調で俺に問うてきた。この男は他のマイスターたちと違い、その精悍な見かけに反してやけに周囲に気を遣う人間なのだと知ったのはここ最近のこと。穏やかな性格そうに見えるがよくこんなんで戦ってきたな、てのが正直な感想だ。
「ん?あ、あぁ、そうだよ。なんか、そんな気分でね。」
思わず適当なことを口にしていた。別に理由があってここにいた訳じゃない。他の誰かと顔を合わせたくなくって、かといって部屋に戻る気分でもなくって・・・・・気付いたらここにいた、というだけだった。
「そうなんですか。僕もここから外を眺めるのが好きで、よく来るんですよ。」
眉尻を下げて笑いながらそう言ったアレルヤに俺は、へぇ、とだけ返した。その笑った顔がどこか哀愁を帯びていて、その表情に目が放せず何故か胸がつきりと痛む。そして俺は、すっかりとこの部屋を出るタイミングを失っていた。
視線もたった一つの言葉すら交わさずアレルヤは窓の外を眺めて、俺は外すら眺めず窓に背を向けて凭れていた。なのに何故かこの部屋から離れる気はなくて。本当、今日の俺はらしくないと思う。
ただ・・・そう、気になったのだ。さっきのアレルヤの淋しそうに笑った顔が。俺を見る時に浮かぶ、他の皆とは違う感情が何か、を。
恐らく、あの人とは仲が良い方だったのだろう。まぁ大体にしてあの人の性格からして、クルー全員とは打ち解けていたようだが。それでもマイスターの中ではアレルヤが一番年が近いようだし、この性格だったらあの人と上手くやっていけてただろう。でも、何か、それだけではないような気がする。
(直球で聞くべきだろうか。いや、でも・・・。)
何だか無駄に遠慮してしまう自分にイラつく。別にあの人とアレルヤがどんな関係だったかなんて俺には与り知らぬところだ。なのに何故か言葉は喉の奥に詰まったままで。
ムシャクシャする気分を紛らわそうとズボンのポケットに入れてあった煙草を取り出し一本咥えたところで、アレルヤの視線がこちらに向いたのがわかった。
「・・・・・・・・・・・・ダメか?」
驚いた表情のまま俺を見ているアレルヤに、煙草を咥えたまま訊ねた。現在だけじゃなくもうずっと何世紀も前から喫煙者には厳しい世の中だ。この組織に入る前も吸う仲間なんて数えるほどしかいなかったし、この組織の中ではまだお目にかかっていない。きっとアレルヤも吸う奴なんて初めてなんだろう。
「・・・いえ、貴方も煙草を吸うんだなぁって。」
どうぞ、とアレルヤは気にした風もなく喫煙の許可をくれた。このご時勢、嫌な顔一つ見せず許してくれるなんて珍しい奴だ。せっかく許してもらえたんだし、と火を灯したところではたと気付いた。
さっきアレルヤはなんて言った?
貴方“も”?
今度は俺が驚いた顔でアレルヤを見上げれば、そこにはまたさっきと同じ、どこか淋しそうな顔で笑っているアレルヤの顔があった。
「ロックオン・・・あの人も時々吸ってました。・・・こうやって窓の外の宇宙を眺めながら。」
そう言って外に視線を向けたアレルヤの顔は、懐かしく、愛おしく、そして切なく、戻らない遠い日々を思い出しているようだった。
まさかあの人も、なんて思うけど、でもわからなわけでもない。きっと吸い始めた切欠なんて俺と同じようなものだろうから。
それよりもこのアレルヤの言葉と表情で、何となくわかった気がする。きっとアレルヤはあの人に仲間以上の感情を持っていたのだろう。尊敬とか敬愛じゃなくもっと純粋な、想い。そしてあの人もその想いに応えていた、そんな気がする。確かめる術はもうないけれど、でも俺とあの人の切っても切れない繋がりがそう言っている。
だからと言って、俺はそんなことまであの人の代わりになってやる義理もつもりもない。
「・・・・・ふぅん・・・・・だが俺は俺、兄さんは兄さんだ。」
突き放すように冷たく言い放つと、アレルヤはまた気にした風もなく、
「わかってますよ。」
と笑って扉へと向かった。
けれど聞こえるか聞こえないくらいの声で、わかってる、あなたはニールじゃない、とまるで自分に言い聞かすように呟いた言葉を俺は黙って聞いていた。
また一人になったこの部屋で紫煙を燻らす。気付いてしまったアレルヤの気持ち。もう一つの理由。
「・・・なぁにやってんだよ、兄さん。」
残された者の気持ちなんて俺たちが一番知っているはずじゃないか。それとも、残していってしまう兄さんもやっぱり辛かったのか?
わかってる、問うても答えが返ってこないことを。でも、二度と言葉を交わすことの出来なくなったもう一人の俺に問わずにはいられなかった。
胸に広がる遣り切れない気持ちを吸い込んだ煙と一緒に、兄さんを飲み込んだ宇宙に向かって吐き出した。
2008.10