agony



其処は闇。底は果てしなく続く暗く黒い場所。
其れは何もかも飲み込もうと急速に、留まることを知らぬように広がり続ける。
俺は、其れに捕まりたくなくて飲み込まれたくなくてただ只管に逃げ続ける。
走って走って走って。追い着かれそうになって、それでも逃げて逃げて逃げて。出口の見えない闇の中をただ只管走り続ける。
もうどれくらい走り続けているのか。
足はもう動かないと限界を伝えてくるのに、それに鞭打って動かし続け。酸素を求める肺は激しい動きの為に痛みを訴え出し、忙しなく空気を取り入れ続ける喉はカラカラに渇いて水分を要求する。少しでも潤そうと嚥下した唾液は少し鉄の味がした。喉の奥でも切れただろうか。
それでも闇は俺を追い続け、俺は逃げ続ける。どこまで逃げればいいのかなんてわからない。まるで終わりの見えない追いかけっこ。

走り続ける視線の先に針の穴ほどの光が見えた。ふとした隙に消えてしまいそうなほど微かな光。
その光までの距離がどれくらいかわからないのに、俺は縋り付くように腕を伸ばす。必死に、必死に。
届くだろうか。間に合うだろうか。
必死に伸ばした腕の先にある小さな小さな光。
あの光に届きたい。掴みたい・・・!

千切れんばかりに伸ばした腕――― その腕は力強い腕に掴まれると、引っ張られ、そして俺は求め続けた光の下へと導かれた。


「――― オン!ロックオン!」
仮初の、でも今の俺の名前を呼ばれて眸を見開く。
まるで心臓が耳元にあるかのように鼓動がどくどくと響いて五月蝿い。呼吸も荒く、は、は、と浅い呼吸を何度も繰り返し肺に酸素を取り入れた。さっきまで必死に逃げていたからだろうか。
否。今俺が居るのはさっきの闇だけの世界じゃない。
視界に映るものはやはり闇だけれども、先程までの何もかもを飲み込んでしまう絶望のような暗い闇とは違う。
それに心配気に眉根を寄せて顔を覗き込んでくる暖かい存在が隣にいる。
(・・・・・夢、か。)
あまりにも酷い、悪夢という部類に充分分類される夢を見ていたことを認識し、またそれが夢であったとことへの安堵の嘆息を体内に溜まった澱のようなものと一緒に吐き出した。
「ロックオン、大丈夫?・・・随分と、魘されてたみたいだけど。」
「あ・・・あぁ、悪ぃな。」
支えられるようにして上半身を起こせば、かなり寝汗を掻いていたことがわかる。着ていたシャツがべったりと肌に纏わり付いて気持ち悪い。荒かった呼吸は、幾分か落ち着いてきた。
まだ夢現といった感じの俺を、アレルヤは相変わらず心配気な顔をしながら優しい手付きで額に張り付いた前髪をそっと払ってくれる。
「・・・悪ぃ・・・もう、大丈夫だ。アレルヤ。」
隣で眠っていたアレルヤを起こしてしまうほど俺は魘されていたのだろうか。申し訳ない気持ちで謝罪の言葉を口にすれば、アレルヤは硬く寄せていた眉根の皺を解き、反対に今度は眉尻を下げながらふわりと優しい笑顔を向けてくれた。
あぁ、あの夢の世界で見た希望の欠片ような光はきっとアレルヤだったのだろう、と優しい笑顔を見つめながら俺は思った。

「何か・・・・・悪い、夢でも?」
遠慮がちに訊ねてくるアレルヤの問いに、あれは悪い夢というより自分の心の奥底で感じていることなのだろうと思った。
俺を飲み込むように迫ってきた闇は、心の中に抱える澱。犯した罪の数々。決して消えることのない業。俺だけが抱える咎。
わかっている。それらは許されるはずもないことだと。決して逃れることができないものだと。こんな俺が幸せになれるはずがない。なるべきではない。
それでも。
俺は望むようになってしまった、幸せを。叶うはずもないのに、幸せになりたい、と。
この身の終焉の地と決めて入ったこの組織で出逢った目の前の男と。アレルヤと共に過ごしたい。離れたくない。ずっとずっと側に居たい。こんな死と隣り合わせの場所ではなく、ごくありふれた日常の時間を。
あの失ってしまった日々をもう一度アレルヤと。

だけど俺は―――。


「ロックオン?」
返事をしない俺を訝しんで不安気に顔を覗き込んでくるアレルヤの、その優しい銀灰色の眸を見つめながら思う。
きっとあの夢は俺の中の苦しみ。葛藤。逃れられない罪を背負いながらも、それでも光を、アレルヤを望んでしまう無様な俺の心。
望んではいけないことだとわかってる。アレルヤと幸せになりたいだなんて。許されるはずもないことだって。
それにこんな俺に望まれたってアレルヤには枷にしかならない。アレルヤは俺と違って自ら人を殺めることを選んではいないのだ。こんな自ら堕ちることを選んだ俺が側にいたって毒になるだけ。

それなのに。それでも―――。


何も答えない俺に返事を求めるのをあきらめたのか、アレルヤは少し困った風に笑って汗の乾いた額にちゅ、と軽い口吻を落とすと、
「起床の時間までまだまだあります。もう一度休みましょう?」
柔らかく微笑んで、腰元にあったブランケットをそっと引き上げようとする。その大きくて暖かい手を引き止めるように、俺は自分の手を重ねた。
「ロックオン?」
不思議そうに首を傾げながら名前を呼ぶアレルヤの唇に自分のそれを重ねる。
「ロ、ロックオン!?」
突然の行動に驚いて口を開いた隙を突いて、舌を差し入れ口内を弄りアレルヤのものに絡ませる。深く、激しく、言葉も呼吸すらも飲み込むように貪る。

何れ俺はこの光のような愛おしい存在を自ら手放すだろう。
こんな行為を交わすような関係にまでなってそれは残酷なことだと思う。最低な行為だとわかっている。
それでもその時まで、その最後の瞬間まで、この温もりを感じていたい。

重ねていた手を首に回して身体を密着させる。アレルヤの温もりをより近くこの肌で感じる為に。そしてもっともっと感じる為に。
「―――抱いてくれよ、アレルヤ。」
これが『愛してる』と素直に伝えられない惨めな俺の、アレルヤに伝える精一杯の愛。





2008.12 
BGM:agony