Chocolate Kiss
「これ、やるよ。」
夜分、クルーの大半が寝静まった時間に突然やって来て、それどころか小さな小箱を差し出しながらそう言ったロックオンに、アレルヤはただ銀灰色の瞳を瞬かせた。
革のグローブに包まれた掌の上に乗せられた小さな箱は、赤い包み紙と金色の紐で綺麗にラッピングされている。中には何が入っているのか、アレルヤには皆目検討が付かなかった。
ロックオンは時々地上に降りた際、こうやって何かをアレルヤに買って来てくれることがある。その度にアレルヤは申し訳なく思いつつ、それでも楽しみにしていることは事実で。
特殊な生い立ちの所為で、所謂世間一般的なことをあまり知らないアレルヤにとって、ロックオンが与えてくれるものは目新しく、そして新鮮だった。
今だって先程地上で行われたミッションから戻ってきたばかりだというのに、ロックオンはこうやって土産を片手に部屋を訪れてくれている。
ロックオンが持つそれは、見たところそんなに急を要するようなものではないように思えた。長時間の移動で疲れているのだろうから、何も今ではなく明日でも構わなかったのでは・・・・・。
そう考えていたのが顔に出てしまっていたのだろうか、一向に動こうとしないアレルヤを見てロックオンは不満気な声を上げた。
「なんだぁ?気に入らないのか?」
「っい、いえ!そんなことないですっ!」
ロックオンの声に思考の海から引き上げられたアレルヤは慌てて顔を左右に振り、狼狽して上げた声は少しばかり裏返ってしまった。
その動揺した姿に、ロックオンはアレルヤの相変わらずさを感じて、思わず笑みが零れるのを止められない。
「んなら・・・」
ほら、と改めて眼前に差し出された赤い小箱を、
「・・・・・ありがとうございます。」
恐る恐るといった風に、アレルヤはロックオンの掌からそっと受け取った。
男性特有の厚みのあるアレルヤの掌に、ちょこんと乗った可愛らしい小箱を暫し見つめた後、
「・・・・・開けていいですか?」
「もちろん。」
遠慮気味に上目使いで訊ねてくるアレルヤに、ロックオンは待ち兼ねていたように即答で返した。
アレルヤの知らないことを教えてくれるロックオン。
そんな彼が与えてくれるものは、アレルヤにとってこの殺伐とした生活の中で確実に楽しみの一つとなっていた。
大きく節くれだった指で丁寧に包装を解いていくアレルヤを、ロックオンは柔らかく期待に満ちた表情で見つめ続けている。
やがて赤い包装紙は綺麗に解かれ、中からはまた光沢を備えた赤い小箱が現れた。更にその箱をそっと開けると ――― 小さくて褐色の球体状のものが3つ、丁寧に収められていた。
「・・・・・チョコレート・・・・・?」
ふわりと薫ってくる独特の甘い香りとその色形はアレルヤの知識にもあるものだった。それ故に、アレルヤは更に疑問が深くなっていく。
ロックオンはいつもアレルヤが知らないものを与えてくれる。
しかし、チョコレートという存在をアレルヤが知っていることをロックオンはわかっている筈だ。なのにわざわざ、しかも疲れているだろうにトレミーに帰り着いてすぐ届けてくれたのだろうか・・・・・。
アレルヤはまた考えていることが顔に出てしまっていたのだろう。
「・・・・・今日はバレンタインなんだよ。」
その表情を見て、ロックオンはくすりと笑うとそのチョコレートの持つ意味をアレルヤに教えてやった。
「今回のミッションで地上に降りた時、経済特区に寄ったんだよ。そしたら街中バレンタインで盛り上がっててさ。そういやそんな時期だよなぁと思ったら、さ。」
ついついアレルヤにと思って買っちまったんだよ、とロックオンははにかんだ笑顔でそう呟いた。
けれど、アレルヤはまだそれがどういうことなのかわからないでいる。というのも、アレルヤはバレンタインがどういう意味の日なのかを知らなかったのだ。
未だ不思議そうな顔をし続けているアレルヤを見て、ロックオンは肩を竦めると、
「バレンタインってのはな、俺の故郷じゃ男性が好きな女性に花を贈って愛を告げる日なんだ。経済特区じゃ女性が好きな男性にチョコレートを贈って告白する日なんだと。まぁお国柄によって風習は様々なんだが・・・・・。俺たちの場合はどちらも当て嵌まるような当て嵌まらないようなもんだし・・・・・要は好きな相手に思いを告げる日なんだよ。」
最後は消え入りそうな声になって俯いてしまったロックオンの言葉を聞いたアレルヤは、教えてもらったバレンタインの意味を知って、そして疲れているのに今日という日にわざわざロックオンが自分の元へやって来てくれたその気持ちに感動し、気持ちが一気に高揚するのがわかった。
「ありがとう!ロックオン!」
チョコレートの入った小さな箱を大切そうに両手で包み込んで、アレルヤは素直に気持ちを言葉にする。
バレンタインのチョコレートを貰ったことも嬉しかったけれど、アレルヤにとってそのロックオンの気持ちが何よりも嬉しくて堪らなかったのだ。
よく見れば、ロックオンの亜麻色の髪の隙間から覗く白い肌はほんのりと朱に染まっている。普段は照れ屋で、なかなか想いを口にしてくれないロックオンが、バレンタインという切欠ででも伝えてくれたのがアレルヤには嬉しくて舞い上がるほどに幸せだった。
「・・・・・あ、僕は何も用意してない・・・・・」
すいません、と先程までの嬉々とした表情とは一転、今日という日を知らなかったとはいえロックオンに何も用意してないことにアレルヤは肩を落とした。
確かにここ暫く宇宙に滞在していたアレルヤには何かを用意することは出来なかった。けれど、わざわざチョコレートを贈ってくれたロックオンに対して、アレルヤは何も用意出来なかった自分が情けなくそして歯痒く感じてしまう。
そんなアレルヤに対して、ロックオンは呆れたように笑った。
バレンタインを知らなかったこともあるし、用意できない状況にいたのだから仕方のないことで、わざわざ落ち込むほどのことでもないだろうに、と。でもそれがアレルヤらしくて、またアレルヤのいいところなのだが。
「気にすんなよ。俺がしたくてしたことなんだからさ。」
ぽんぽん、と励ますように軽く頭を叩いてやれば、アレルヤは仕方なく納得したように頷いてみせた。
けれど一瞬の後、アレルヤは妙案が思い付いたとばかりに俯いていた顔を上げると、
「じゃあ、これが僕からロックオンへの気持ちです!」
高らかにそう宣言し、アレルヤは貰ったばかりのチョコレートを1粒口に放り込んで ――― 呆気に取られていたロックオンの唇に自らの唇を重ねた。
更に突飛なアレルヤの行動に、ロックオンは身動きも出来ずに目を瞠るだけだったけれど、でもそれは少しの間のことだけで。
ロックオンはいつしかアレルヤのそれに身を委ねて、アレルヤの気持ちを受け取ることにした。
甘い甘い、チョコレート味のキスを。
2009.02