素直じゃないから
「ほら、これ飲めよ」
部屋に入ってくるなりロックオンはそう言って手にしていたドリンクボトルをアレルヤに差し出した。
アレルヤはというと引き出したベッドに腰掛け、端末を手に何か調べていたらしく、目の前に立つロックオンをきょとんした表情で眺めているだけで、その顔にはいきなりのこの状況が飲み込めないという気持ちと、いったいどうしたの?という隠しきれない疑問がありありと読みとれた。
それもそうだ、ここはトレミーの中でアレルヤに唯一許されたプライベート空間、自室である。そこへ何の前触れもなく突然やってきてそんなことを言われれば、通常なら誰だって理解に苦しむだろう。
これがもしティエリアの部屋であろうものなら、いくつかの怒声が響いた後、言い訳ひとつも出来ないまま部屋を追い出されていたって文句も言えないし仕方のないことだろう。
けれどアレルヤの場合、非難の言葉ひとつなく、それどころか「ありがとうございます」と素直にその差し出されたものを受け取ってしまうのはアレルヤの人の良さであり、またロックオンが部屋を訪れるということがごく普通のことになっていたからである。
とどのつまり、こういうことは良くあることで、アレルヤとロックオンはお互いの部屋を行き来する――簡潔に言ってしまえば恋人同士――関係であった。
だからと言って、今のようにいきなり何かを差し出されるということは稀というか初めてのことで、アレルヤは若干戸惑いつつも身体を僅かにずらし、ロックオンの場所を作って無言で座ることを促せば、ロックオンもまたそれを当然のように受け取りアレルヤの横へと腰掛ける。もう慣れきった、阿吽の呼吸というやつだ。
「ほら、早く飲めよ」
ロックオンはにこにこと笑いながら手渡したドリンクボトルを指差し、アレルヤに飲むよう促した。
しかしそんなロックオンに対してアレルヤは相変わらず首を傾げたままだ。ロックオンの意図が読めない。
何か急用があってこの部屋を訪れたのならば、まずはその用件を告げるはずだろう。ロックオンはそういうところはかなりしっかりしている。だから今は何か(主にミッション関係)があって来たわけではないということは容易に理解できる。
けれどただ単に部屋を訪れた場合、いつもならアレルヤと違って話術の長けているロックオンなら二言三言、他愛のない会話を交わしてからこういったドリンクボトルを差し出してくるはずなのに。
いったいどうしたということなのだろう?
「ほらほら」と催促するように勧めてくるロックオンに対し、アレルヤはまだ首を傾げたままで、それでも素直にドリンクボトルに口を付けて中身を一口啜った瞬間。
「!?」
その味に思わず眉を顰めた。アレルヤの口の中に広がったのは、想像していた味とまったく掛け離れていたからだ。
いつもならこうやってロックオンが持ってきてくれるのはコーヒーや紅茶といった類のものばかりで、ほぼそれが当たり前だと思い込んでいたアレルヤは、今手にしているボトルの中身もまたてっきりいつもと同じものだとばかり思っていたのだ。それがまったく外れていたのだから、アレルヤの思い込みが悪いとは言え思わず眉を顰めてしまうのは仕方のないことだろう。
しかしカフェイン系だとほぼ無意識的に思い込んでいたはずなのに、今口の中に広がるのはなんとも言いようのない味。自然的なものではなく、どこか人工的で・・・・・なんとなく薬臭いような気がする。
期待していた味との違いで思わず眉を顰めてしまったが、口の中に僅かに残る味を吟味してみればアレルヤにはなんとなく覚えのある味のような気がした。
「・・・・・ロックオン、これって・・・」
おぼろげな記憶を頼りに自信無さ気に訊ねてみれば、顔を合わせたロックオンは「いや、あの・・・」とどこか申し訳なさそうに眉尻を下げて頭を掻いている。
「栄養剤、だよね?どうしてこんなものを?」
不思議に思って素直に訊ねてみれば、ロックオンはどうしたものかと一瞬答えに迷って考えたあと、ぽつりと話し出した。
「・・・いや、まぁ・・・その、なんだ?最近元気ねぇなぁ・・・疲れてんのかな、と思って・・・さ・・・」
「?」
俯いて歯切れ悪く言葉を紡ぐロックオンのらしくないその態度にアレルヤはまた首を傾げる。本当に今日のロックオンは良くわからない。
「?僕は別に疲れてなんかないけど・・・どうしてそう思うの?」
「・・・っ、い、いやっ、俺の思い過ごしならいいんだけどさっ」
「どうして?」
詰め寄るようにじり、と身体をより近付ければロックオンは慌ててアレルヤから離れようとする。
「ロックオン?ねぇ、どうして?」
こんな風に悪意なく、自分が納得するまで訊ねてくるのはアレルヤの無邪気なところなのだろうと思う。普段はそんなところがかわいいと感じるのだが、今のロックオンには少し性質が悪いと思えて仕方がなかった。
「ねぇ、ロックオン?」
しつこく訊ねてくるアレルヤに、ロックオンはなんとか話をはぐらせないものかと考えあぐねるが、だがこんな風になってしまったアレルヤを止める手段も思いつくはずがなく。
ぐぅ、と唸ったあとロックオンは腹を決めてその理由を仕方なしに語ることにした。
「・・・あー・・・なんだ?その・・・最近、して・・・ねぇよなぁと・・・思って・・・・いつもなら3日と開けずに言ってくるのにさ・・・だから・・・・・」
ぼそぼそと、まるで言い訳をするかのように呟くロックオンの声は今にも消えてしまいそうなほど小さく、話す内に更に俯いてしまった顔はアレルヤから伺うことは出来ないけれど、でもくるくると巻いた髪の隙間から覗く白い肌は淡い色を通り越して真っ赤になっている。
そんなロックオンと先程の言葉を思い出して、アレルヤはそう言えば、とここ数日間のことを思い出す。
よくよく考えてみればこの数日間、決められたブリーフィングやトレーニング以外の時間をこの自室で過ごしていたような気がする。それは、実は先日地上に降りた際に買い求めた本を読み始め、続きが気になってずっと読み耽っていたのだ。そしてつい先程も、その本の次巻がまだ出版されていないのか端末で調べていたところだった。
思わず自分の執心さにアレルヤは苦笑いを零さずにはいられない。何よりも誰よりも大好きなロックオンを不安にさせてまで自分は何をやっているのか、と。
けれども、ついつい本に夢中になってしまったとは言え、ロックオンへの気持ちが変わるということはこれっぽっちもない。むしろこんな風に心配して、わざわざ栄養剤を持ってきてくれるロックオンを更にかわいく、愛おしいと思える。
そんなロックオンの素直に口に出せない期待に応えるべく、アレルヤはボトルの中のものを一気に煽って飲み干すと、未だ俯いてもじもじとしているロックオンを抱きしめてその耳元で囁いた。
「ありがとうございます。おかげで元気になりましたよ・・・ということでさっそく」
「えっ!?あ?アレルヤ?・・・えっ!?あっ、ちょ、ちょっと?え?ええええええ!?」
かくして。
その晩、アレルヤの部屋からは一晩中すすり泣くような声が聞こえたとか聞こえなかったとか。
そしてロックオンは心に強く誓ったらしい。
もう二度とアレルヤに栄養剤は与えるべきではないと・・・!
2009.08