夢逢瀬 〜ALLELUJAH*NEIL ver〜
ふと目覚めた視界の前に広がる場所は、どこか見覚えのあるところだった。
懐かしく馴染みがあるような気もするけれど、でも自分があるべき世界とは違うような、ほんの少しの緊張と違和感を覚える場所。血生臭い匂いなどとは縁遠い、幸福すら感じられる平和そのもののようなところ。
今この身体が立っているだろう場所は小さな玄関のようなところで、その足元からはあまり長くはない廊下が続いている。
そして廊下の先を視線で辿れば、少し開いた扉の奥にはリビングのような一室が見えた。
どこだったか、地上にある部屋の一室だ。
何となく、そう思った。きっと既視感ではないだろう。
この部屋の中を確認したわけではないけれど、でもこの部屋にはどこに何があるか、どういう造りなのか、なぜかぼくは知っていた・・・いや知っているのだ。今、この時も。
けれど。
(・・・あれ?ぼくって確か・・・)
目覚める前のことを思い出せばここではない、宇宙に浮かぶ艦の中に与えられた一室で眠りに付いたはずだった。与えられた、決して広いとは言えない部屋の簡素な造りのベッドの上に疲れた身体を横たえて眠ったはずだったのだ。
なのに今、目の前に広がる光景はあの宇宙での部屋ではない。
確認するように周囲をぐるりと見廻してはみるが、けれど、やはりあの過ごし慣れた部屋とは似ても似つかなかった。
(・・・・・ということは)
まさか眠っている間に移動させられたということはないだろう、とぼくはこれが夢だと冷静に結論付ける。夢の世界だからか妙に落ち着いてこの状況を素直に受け入れることが出来た。
けれど見覚えのある部屋のはずなのだが、どこだったかがはっきりと思い出せない。頭の片隅では何となく思い出しかけてはいるのだが、けれどそれが正しい像を結ぶにはまだもう少し何か切欠が必要だった。
(えぇと・・・)
あと少しで思い出せそうなのに、しかし思い出せない感覚はひどくもどかしい。目指す場所はすぐ目の前にあるのに、それでもあと一歩が足らない、そんな感覚。
何か思い出せる切欠がないものかと足を一歩、部屋に踏み入れたその時だった。
「アレルヤ?」
部屋の奥から聞こえてきた声に数歩踏み出した足がぴたりと止まった。その声は聞き覚えのあるもので、忘れようにも忘れるはずがない声だったからだ。
優しく響くテノールはぼくが世界で一番好きだった音で、その声で名前を呼ばれる時が一番幸せだった。
でもそれはもう今では聞けなくなってしまった、声。
夢の世界でも今の今まで聞くことが出来なかった、大好きな大好きな、声。
「どうしたぁ?早く入って来いよ」
思わず躊躇っているぼくを余所に、その声の主は記憶の中のものと寸部違わず明るい調子で話し掛けてくる。まさかという思いで止めていた足を動かせば、それは意識せずとも声の主がいるであろう場所へと勝手に向かってくれた。
足早に廊下を進み扉を開けてくるりと右へ向けば、やはりそこには予測したとおり彼が、いた。
「っ、ロック・・・オン」
「お?やぁっと来たな、アレルヤ」
懐かしい彼のコードネームを呼べば、ロックオンはあの頃と何ひとつ変わらない優しい表情で笑い掛けてくれる。
(そうだ・・・)
その時ぼくは唐突に思い出した。
ここは、この場所はロックオンに与えられた地上のセーフハウスで、ぼくも幾度か彼に誘われて過ごしたことがある部屋。
ロックオンとふたりきりで甘く優しい時間を刻んだ思い出の場所だったのだ。
そんな場所をぼくは―――
(どうして忘れていたんだろう・・・)
彼との思い出は何から何まで、些細なこともすべて憶えているつもりだったのに。
それは過ぎ去った時間の所為だとは思いたくない。
けれど、この部屋で彼と一緒に過ごしたのはもう何年前のことになるだろうか、と改めて思い出さなければならないほど年月が経っていることは否定出来ない事実だった。
そう、ぼくの世界が悲しみに包まれてしまったあの日から、彼がぼくの側から消えてしまってから無情にも時間は過ぎ去ってしまっているのだ。
彼への想いはあの頃と何ひとつ変わっていなくても、それが現実―――
目の前の彼は本当にあの頃から変わっていない。ぼくの記憶の中にある姿のままだ。
「アレルヤ?」
黙っているぼくをロックオンは不思議そうに呼んでくる。その口調も仕草も何も変わらない。変わらないことになぜか涙が出そうだった。
「ロッ・・・ニール」
「ん?」
呼び慣れたコードネームじゃなく彼の本当の名前を呼べば、ロックオン・・・ニールは『なんだ?』といった表情でことりと首を傾げてぼくを窺ってくる。その顔をぼくはじっと見つめた。
初めて口にした彼の本当の名前。
でもその名前を教えてくれたのは彼本人ではなく、彼と同じ顔をした弟から教えてもらったのだ。
そんな名前を口にしても彼が驚かないのは、やはりこれはぼくの都合のいい夢の世界だということ――そう思うと彼に逢えたことは嬉しくても、やはりどこか淋しかった。
彼とはもう、夢の世界でしか逢えないのだから―――
「ニール・・・ぼくね、26になったんだ・・・」
「・・・うん・・・・・そっか」
唐突にぽつりと呟いた言葉に彼は一瞬驚いた顔をしたけれど、でもその言葉の意味することをすぐに理解ってくれたようで、彼は少し淋しそうな顔で笑った。
それは彼の年を追い越してしまったということ。
あの頃は追い着きたくて追い着けなかった5年という差がなくなってしまった・・・つまりはそれだけの歳月が経ってしまったということ。
それだけ彼がいなくなってしまってからの時間が流れてしまったということ。
考えれば考えるほどに涙が込み上げてきそうだった。
「・・・そっか、アレルヤももう26か・・・いい男になったなぁ」
惚れなおしちまいそうだ、と努めて明るく振る舞う彼の言葉に、ぼくも込み上げる涙を堪えて何とか笑顔を作ってみせた。
例え夢の世界だとしても、彼に涙を見せたくなかった。
「アレルヤ」
以前のようにぼくの名前を優しく紡いでふわりと笑う彼。そんな彼の身体をそっと抱き寄せた。
これは夢の世界なのだと理解っていても、けれどもその身体はあたたかくて、じわりと熱が伝わってくる。
そのぬくもりは今でも憶えていて、そしてずっと求め続けていたもの。出来ることならこれからもずっと、ずっとこの腕の中に閉じ込めておきたい。
「・・・逢いたかった。すごく、すごく逢いたかった」
忘れたことなんてなかった。どれだけ時が流れようと、月日が経とうとも忘れることなんて出来るはずもなかった。
「うん・・・おれも逢いたかったよ」
そう答えてくれる彼の身体をぎゅっと抱き締める。『じゃあどうして今まで逢いに来てくれなかったの?』という言葉は喉の奥に飲み込んだ。
ひょっとしたら彼は言葉通り、今までに何度となく逢いに来てくれていたのかもしれない。けれどぼくが自分自身への問いに答えを見つけられていなかったから彼の来訪に気付けなかったのだろうか。
だとしたら申し訳なく思うし、また自分の愚かさを罵りたくもなる。
だけどぼくはもう、迷わない。だから―――
「・・・また、逢いに来てくれる?」
腕の中の彼を覗き込みながらそう訊ねれば、彼は一瞬驚いた顔をしたけれど、でもすぐに笑って『ああ』と頷いてくれた。
「本当に?またすぐに逢いに来てくれる?」
「ああ」
「すぐ来てくれないとぼく、おじいちゃんになっちゃうよ?」
「アレルヤがどんな姿になったって、すぐに見つけてやるよ」
本当はもっと違うことを言いたいのに。話したいことはたくさんあるのに、なぜかそれはひとつも言葉に出来なくて。
ぼくの子供みたいな言葉に、それでも彼はくすくすと笑いながら答えてくれる。
そんな彼が好きだった。どれだけ月日が経とうとも、何年もの時が過ぎようとも彼への想いは褪せることはない。きっと、この先もずっと。
だからやはり離れたくないと思った。ずっとこの腕の中に閉じ込めておけたら、と心の底から願った。
どうしてあなたはぼくの側にいてくれないの―――?
ただの我侭だって理解っている。けれど、思わずそんな言葉が口から溢れてしまいそうだった。
するとそんなぼくの心が伝わったのだろうか、彼はくすりと笑うと手袋の外された白くて綺麗な手を伸ばしてぼくの頬にそっと優しく触れる。
そしてもう一度あの大好きな声で、
「アレルヤ」
ぼくの名前を紡いで綺麗な綺麗な顔で微笑んで。
「ずっといるよ。姿が見えなくても、おれはずっとおまえの側にいるから―――」
ふと目覚めた視界の先に広がっているのは見慣れた白い天井だった。
(あれ・・・?)
一瞬目の前に広がる光景が信じられなくて混乱してしまうけれど、でもすぐに先ほどまで見ていた光景は虚空のものだったのだと覚醒したての頭でも気が付いた。
(そうだ、ぼくは・・・・・)
夢を見ていた。そして夢の中で大好きな大好きな彼に逢った。
そのことを思い出すと心がほんのりとあたたかくなる・・・と同時にどうしようもない淋しさが込み上げてくる。
身体は、腕は、まだ彼を抱き締めた時のぬくもりも感触もはっきりと覚えているというのに、でもそれは目覚めてしまえば夢の世界での儚い出来事になってしまう。
今、ぼくの隣に彼は、いない。
その現実はぼくの胸を苦しいほどに締め付け、そしてただただ淋しさと悲しさを募らせていく。
でもふと、彼が夢の終わりに言ってくれた言葉を思い出す。
そう、彼はあの逢瀬の終わりにこう言ってくれたのだ、ずっと側にいてくれると。例え姿をこの目で見ることは出来なくても、ぼくの側にいてくれると。
だから。
「ロックオン・・・ニール、そこにいてくれるんだよね?」
虚空を見上げ、しんとした室内にぼくの声だけが響く。
けれど、ぼくの呟きに応えるように。
『ああ、いるよ、ここに』
そんな声が聞こえた気が、した―――
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