君と迎えた雨の朝は *ライニル*
不意にひやりと感じた肌寒さに剥き出しになった肩がぶるりと震えて、ふと目が覚めた。
が、頭はまるで鉛のように重く何処か霞掛かったようにぼんやりとしていて、思考は正常に働いてくれてはいないようだ。
夢と現の境界を彷徨いながらしばらく何も考えられずにぼーっとしていると、また身体が無意識に震えて初めて『寒い』と頭が働いた。
だから――これもまた無意識の動作として――少し肌蹴ていたシーツを引き上げ、暖を取るように身体を丸めて体制を整えていれば、不意に窓の外で何かがぱらぱらと落ちる音を耳が捉える。
それを『ああ、雨か』と考えるまでもなく察してしまうのは、きっと生まれ育ったこの土地が雨の多い土地柄だった所為もあるからなのだろう。幼い頃はそれがよく子守唄代わりにもなったものだ。
だからなのか今日は朝から雨が降っているからといって特に落胆することもなく、ただそれでも働かない頭で今日の予定だけは確認する。
―――確か今日は何の予定もなかったはず・・・。
週末の今日は最初から身体をゆっくりと休めるつもりで何の予定も入れていなかったのだし、さらに雨となれば余計にすることもなくて、だったらこのまま惰眠を貪るのも悪くはないだろう、と順立てて考えたライルは覚め切らない睡魔に誘われるがまま意識を深く沈ませようとした。
「―――?」
するとふと、すぐ隣にある気配に気付く。
しかしその気配は今突然に現れたわけではなく、ライルが目を覚ます以前から変わらず傍にあった。にも拘らず気付くことが遅れたのはおそらく、寝起きの所為で彼の神経がそこまで廻っていなかったからなのだろう。
もし隣の存在に気付かなければ、そのまま睡魔の誘いに乗っていたに違いない。
けれど気付いてしまえばやはり何者か気になってしまうのは当然のことで、だからそれが何か確かめようと重い目蓋をゆるゆると開けてみれば、ライルの目に入ったのは自分と同じ亜麻色の髪。くるりと巻いた毛先に奔放な跳ね具合まで同じだ。
となれば、その目の前ですうすうと気持ち良さげに寝息を立てている存在は考えるまでもなく、ライルと瓜二つの顔をした双子の兄――ニールだった。
―――どうして兄さんがここに?
普段ならそれぞれの部屋で別々に寝ている――それもそうだ、180pを超える大柄な自分たちふたりが一緒に寝るにはこの家にあるベッドは狭すぎる――はずなのだが、今朝に限っては何故か自分のベッドで寄り添うようにして眠っている。
おかげで寝返りを打つのも困難なくらい、狭いことこの上なしだ。
―――起きたら文句のひとつでも言ってやろうか。
と、そこまで考えて漸くライルは昨晩のことを思い出した。
確か昨夜は翌日でもある今日が珍しくもふたり揃って休日だった為に、久し振りにニールとアルコールを摂ったのだ。
普段は一般企業に勤めるライルとは違って、サービス業のニールは週末が休みになることはあまりというかほとんどない。
それにライルとしても平日は翌日に仕事があると思えば飲酒は控えるし、たとえ飲んでもギネス一本程度に止めている。
だが週末で翌日が休みとなればそんな自制も必要なくなるし、ましてや今回のようにニールも揃って休日となればつい箍が外れてしまうのも仕方ないだろう。
何しろふたりともアルコールが嫌いではないし、そこそこ強い方だから、翌日のことを思ってセーブしなくて良いとなればつい度が過ぎてしまうことも度々ある。
昨夜がその良い例だろう。
そして起き抜けに頭が鉛のように重いと感じたのは、実は羽目を外し過ぎた結果――所謂二日酔いだったというわけだ。
ああ、だからか、とライルはひとり納得する。思い出してみれば何とも単純明快なことだった。
そして兄が隣で寝ている、その理由も。
というのも、昨夜のように最後は記憶が曖昧になるほど大量にアルコールを摂った時は、その酔った勢いに任せて兄弟の一線を越えてしまうことが度々――いや、今では飲む度に、それこそもうお決まり事のようにすらなっていたのだ。
だがその『酔った勢い』というのも実はライルの建て前で、本音を言えば下心がまったく無かったわけではない。どころか計画的な部分さえあったりもする。
そんな態々回り諄いことまでしてニールとの関係を持とうとするのは、ただ素直になれないライルの口実であり、また言い訳に過ぎなかった。
実を言うと、ライルは兄であるニールに兄弟として抱いてはいけない感情――つまり恋愛的なものを抱いている。
けれどそれを言葉にして伝えられないのはライルの性格は元より、同性同士であるどころか血の繋がった兄弟――しかも双子の――といった柵があるからなのだろう。
世間一般的な目から見ればこの関係は禁忌であり反道徳的な行為で、それはライルもよく理解っているつもりだ。
だからたとえそれをライル自身が割り切っていたとしても、やはり背徳的な感情を少なからず抱いてしまうのは当然と言えば当然のことで、故に敢えて言葉にして伝えることが憚られていたのだろう。
また一方のニールも、おそらくライルと同じ気持ちを抱いてはいるはずだ――何よりかなり酔った状態とは言え、抵抗のひとつもしないのだから。
それはそれでライルとしては願ったり叶ったりなのだが、何にしても『酔った勢い』を借りなければ関係を持つことすら出来ない自分たちは、揃って三十路を超えながら何とも情けないことだ、とライルは未だ深い寝息を立てるニールを見つめつつ苦い笑みを浮かべるのだった。
そんなことをつらつらと考えていると、纏わり付いていたはずの眠気はすっかりと何処かへ消え去っていた。
あれだけ重かったはずの目蓋も、気付けば軽快に瞬きを繰り返している。
(勿体無いことをしちまったなぁ・・・)
せっかくの休日、惰眠を貪るつもりでいたのに、と――どちらが勿体無いことなのか、敢えて問うことはしない――ライルはすっかりと目が覚めてしまったことを残念に思いつつ、隣で眠る兄を起こさないよう器用にうん、と大きく伸びをした。
頭がまだ微かに痛くて重いし、身体は何処か気怠い。
けれど心地好い気怠さだ。気分も悪くはない。
それなりに酔っていた所為であまりはっきりと覚えてはいないが、昨夜はかなりの回数をしたのだろうことは身体の気怠さから何となくわかった。
無茶をさせたつもりはないが、しかし受け入れる立場の兄にしてみればそれなりの負担だったかもしれない。
その点に関してライルには後悔や反省などといったものは微塵もないけれど、しかし目が覚めた後の兄から飛んでくるだろう抗議と非難の声には少しばかり憂鬱になる。小言を言い出すと長いのだ、この兄は。
まぁそれも自分の蒔いた種だから仕方がないか、と半ばあきらめのような覚悟をしつつ、とりあえずは昨夜摂ったアルコールの所為でひどく乾いた咽喉を潤す為にキッチンへ向かうとしよう。ああその序でに機嫌を取るつもりではないが、目が覚めればおそらく咽喉が渇いたと訴えるだろう兄の為にミネラルウォーターか何か持って来ておいてやるか―――
俺って気が利くよなぁ、などと考えながらライルはこっそりベッドを抜け出すと、なるべく音を立てないよう気を配りながらキッチンへと向かったのだった。
そうして充分に咽喉を潤わせた後、ボトルを手に部屋へと戻ってみれば、ニールはライルが部屋を出た時とまったく同じ格好でまだ深い寝息を立てていた。
すうすうと規則正しい呼吸を繰り返して未だ起きる気配のない兄に、ライルは面食らいつつ溜息をひとつ溢す。
普段は人のことを寝起きが悪いとか寝汚いとか文句ばかり言うくせに、そういう自分はどうなんだよ、とつい胸の内で毒吐いてみるけれど、しかしそれはライルの八つ当たりにしか過ぎないだろう。それも至極勝手な。
何しろ普段は起こされるのがライルの役目で、今日のようなシチュエーション――つまり起きているのがライルで寝ているのがニール――はあまりと言うか滅多とない。
それがライルには――決して認めたくはないが――面白くなかった。とどのつまり、自分ひとりだけ起きているのがつまらないのだ。
何とも子供染みた癇癪ではあるが、事実そうなのだから仕方がない。目の前に居るのなら、起きて自分の相手をして欲しい、構って欲しいと思ってしまう。
―――我ながらずいぶんと弟気質なものだ。
そんな勝手で我が侭な自分に自嘲的な笑みを浮かべつつ、ライルは一向に起きる気配のないニールを前に思案する。さてどうしたものか、と。どうやって何時までも寝こけているこの兄を起こしてやろうか、と。
そうしてしばらく悩んだ後、ふと浮かんだ案――この場合悪戯か?――にライルはにやりと何やら不穏な笑みを浮かべた。
幸いなことに今日は揃って休日で、特にこれといった予定もなくて。けれど外は生憎の雨。
こんな日は、やはり家で過ごすのが一番だろう。
雨に閉じ込められたひとつ屋根の下で兄とふたりきり。ゆっくり、まったりと。そして有意義に―――
ライルはぎしりと音を立ててベッドに乗り上がると、そのまま腕の中に閉じ込めるようにしてニールに覆い被さった。
何時もなら決して素面では出来ないこの先の行為に何の躊躇いも羞恥も感じないのは、やはりまだ多少なりともアルコールが残っているからなのだろう。
だからだ、とそんな相変わらずの言い訳を胸の内で唱えながら俄かに昂り出した身体を摺り寄せ、その白い首筋に唇をそっと這わせれば、深く眠っていたはずのニールもさすがに目を覚ましたようだった。
「ふぇっ!?―――って、ライル!?」
「おはよう、兄さん」
奇妙な声を上げながら漸く目を覚ましたニールに、ライルはにこやかな笑みを浮かべ触れるだけのキス――所謂『おはよう』のキスだ――をひとつする。
そんなライルにニールは律儀にも『おはよう』と返すけれど、しかし下半身に押し付けられた異変にすぐ気付いたようでこれまた慌てたように声を上げた。
「ちょ、ライル、おまえ!何朝からおっ勃ててんだよ!」
「何って―――朝の生理現象?」
「ん。それなら仕方ないな・・・って、んなわけあるか――っ!!朝の生理現象で発情してるやつなんて聞いたことも見たこともねぇよ!・・・っておい、聞いてんのか!?ライル――っ!?」
喚くニールの声など何処吹く風。
その後のライルはニールを充分に堪能し、有意義な休日を過ごしたのだった。
めでたしめでたし。
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