とある夏の昼下がりの話



じりじりと、焼け付くような陽射しが容赦なく照り付ける夏の季節。
頭上に広がる空は抜けるように青く、陽射しを遮る雲ひとつないその姿はいっそ憎らしいほどに清々しい。
特に晴天に恵まれた今日のような日は、燦然と輝く太陽がその存在をここぞとばかりに主張しては熱を放っている。
ましてやその位置が頂点を極める昼下がり。
太陽が放つ熱も一際強く、ほんの一歩外へ出るだけでじわりと汗が滲むような暑さだ。
だからなのか、街中を歩く人の姿も心なしか何時もより疎らなような気がした。


そうしてアレルヤとニールも例に漏れず、この時間帯は外出を避け、空調の効いた室内で思い思いの余暇を過ごしている――といってもしていることは、互いに共通の趣味でもある読書なのだが。
けれどそれぞれがそれぞれに興味を持った本を片手にこの時間を過ごすことが、この時期、彼らなりの決まった過ごし方でもあった。
というのも、アレルヤは然程苦痛に思わないのだが、何よりニールが目に見えるほど暑さに弱い。少しでも気温が上がって来ると、その身体はまるで溶けたようにだらりとソファの上に沈むのだ。
おそらく肌の色からして人種的なものもあるのだろうが、にしてもこの時期、この時間帯の外出は彼曰く『自殺行為』であるらしい。
確かに身を焦がすような陽射しは否定出来ないし、あまりの暑さに辟易することだってある。
けれどそこまで言うほどのものかな?とは思いつつ、しかし頑なに外へ出ようとしない彼に敢えて逆らうこともせず、アレルヤもまたそんなニールに付き合うように、真夏の昼下がりを室内で過ごしていた――そんなある日のこと。


何時ものように空調の効いたリビングで文庫本を片手に過ごしていた時のことだ。
昼食とその片付けを終え、すっかりと定位置になってしまったソファの上に腰を下ろして只管に紙面の文字を追う。
空調の音と時折紙を捲る乾いた音だけが響いていた静かな室内に、不意にぱたんと小さな音が響いた。
かと思うと、突然ニールが口を開く。
「髪、切ってやろうか?」
「―――え?」
突拍子もなく――それこそ何の前触れもなしにそんなことを言い出したニールに、アレルヤは思わず文字を追っていた紙面から顔を上げた。と同時に、ぱちりとひとつ瞬く。
するとテーブルを挟んで向かい側に座っていたニールが顔を上げたアレルヤの目を見て、もう一度『髪、切ってやろうか?』と繰り返してくる。
そんな彼の言葉にアレルヤはつい訳が分からず、ことりと首を傾げた。いきなりどうしたんだろう、と。
確かに今の今まで彼も同じようにして紙面の文字を追っていたはずだし、何より読み始めてからもまだそんなに時間は経っていないはずだ。
なのにどうして、と呆けたままそんなことを考えていると、今度は『結構伸びたんじゃねぇか?』と問うてくる。
その表情は伺いを立てるというより何処か期待に溢れていて、彼のそんな様子にアレルヤは、読んでいた本が大して面白くなかったのか、もしくはその内容に彼が『髪を切ってやろう』と思わせる何かが含まれていたのだろうと推察することにした。
でなければ突然、こんなことを言い出したりはしないだろう。
それは兎も角として。
アレルヤを見つめるニールの瞳には隠し切れないほどの期待感が込められており、それを見る限り彼の中ではすでに決定事項となっているのだろう。
はぁ、とアレルヤは思わず溜息をひとつ溢した。
こういった場合の彼にはもう抗う術がない。何しろニールの中ではもう、アレルヤの髪を切ることが決まっているのだから。今更アレルヤが何を言ったところで何だかんだと理由を付けられては上手く言い包められ、結局は彼の意向を覆すことは出来ないのだ。
だから敢えて反抗することも反論することもしない。何より彼の気紛れは今に始まったことでもないのだから。
ただほんの少しだけ、読んでいる本の内容が今佳境を迎えており、ちょうどいいところだったりするのが惜しいところなのだけれども。
(でも・・・まぁ、いいか)
続きなら何時でも読めるだろうし、彼の機嫌を損ねるよりはずっといい。
アレルヤはそう判断するとぱたりと手元の本を閉じ、さらに期待感で目をきらきらと輝かせるニールに向かって口を開いた。
「―――うん、じゃあお願いするよ」


リビングの外――ベランダに古紙を広げ、キッチンから椅子を持って来ると簡易な理容室の出来上がりだ。
一歩外に出てみれば、当然のことながら熱気が一気に押し寄せてくる。太陽の位置はまだまだ高い。
それにはニールも一瞬躊躇ったようで、その様子に『じゃあバスルームに場所を変える?』と訊ねてみたけれど、『・・・いや、いい』とだけ返って来た。どうやら彼の中ではこの場所に拘りがあるようだ。
だから今度も敢えて何かを言うこともせず、ただくすりとだけ笑って用意した椅子に腰を下ろせば、洗い立てのシーツをぐるりと身体に巻き付けられる。いや、ひょっとしたら言い出した手前、引くに引けないだけなのかもしれなかった。
そんなことを思っていると霧吹きで軽く髪を濡らされ、丁寧に櫛で梳いては整えられていく。
思わず肩を竦めてしまうようなその感触は何処か擽ったいようでいて、けれどもひどく心地好かった。
そうしてそれを数回繰り返した後、襟足のひと房を手に取られると、しゃきん、と軽い金属音が辺りに響く。
すると切られた短い黒髪が、ぱさぱさと音を立てて白いシーツの上を滑り落ちていった。
降り注ぐ真夏の陽射しはやはり強くて、シーツに包まれた身体はその下でじわりと汗ばんでいくけれど、その分時折吹く風が涼しさを運んで来てくれる。
またしゃきん、と鋏の鳴る音がして、今度は切られた髪が吹く風に乗ってぱらぱらと流されていった。
それからどれだけもしない内に背後からふんふんと、少し調子の外れた鼻歌が聞こえてくる。アレルヤの髪を弄る手の動きも滑らかだ。
どうやらその機嫌は上々のようらしい。
そんなニールの様子にアレルヤは静かに笑みを浮かべた。
時折髪を掬う為に彼の長い指が首筋に触れて擽ったい。
その度に肩を竦めそうになっては『こら、動くな』と怒られるのも何時ものことだった。
突き抜けるほどに青い真夏の空の下で、軽やかな金属音が小気味よく鳴り響く。
耳触りの良いそれらに耳を傾けながらアレルヤはふと、そういえばと、あることを思い出していた。
以前――何時だったかはもう忘れてしまったが――今日と同じようにニールに髪を切ってもらうことになった時、ハレルヤが突然『変われ』と言ってきた時があったのだ。
今ではすっかりと表に出てくることがなくなった片割れが何に興味を持ったのかは理解らなかったけれど、それでも珍しい彼の要求に――もちろんニールの了解の下で――変わってあげたのだが、しかしどうやらこの擽ったさがハレルヤには苦手だったようで、あれ以降『変われ』と言ってきたことはない。
そんなことを思い出して今も己の中で眠っているハレルヤにふと『今日は変わらなくていい?』と問い掛ければ、『二度とごめんだ』という素っ気ない返事が返って来る。
何処か拗ねたその口調に、アレルヤは思わずくすりと笑みを浮かべるのだった。


「ニールは器用だよね」
鋏が奏でる音の合間にふと、そんな言葉を漏らす。
「そうかぁ?」
「うん、ぼくじゃこんなに上手く出来ないよ。がたがたになっちゃって、何時もハレルヤに怒られるんだ」
「ははっ、それは自分でやるからだろ。おれだって自分で切ったらひでぇもんだぞ?」
「そうかなぁ・・・」
穏やかに流れていく時間に交わす他愛のない会話。
そんなひと時がアレルヤにはひどく幸せで、そして掛け替えのない時間だとも思った。
だからこそ他愛のない会話ひとつとっても、楽しいと感じるのかもしれない。
「・・・それにアレルヤの髪は真っ直ぐだからな。切る方としても整えやすい」
おれとしては羨ましい限りだ、とニールはその手を休めることなく続ける。
そんな彼の手付きはひどく優しくて、彼もまた同じように感じていることがアレルヤにもよく伝わってくるようだった。
「でもぼくはニールの髪が好きだよ。柔らかくてふわふわしてて・・・何時も触ってみたくなる」
「それはそれはお褒めに預かって何より・・・こんなもので良ければ何時でもどうぞ?」
「本当?じゃあ後で」
くすくすと笑いながら戯れ合うこんな時間がひどく楽しくて、何よりどうしようもないほどにいとおしかった。
すると今まで鋏を動かしていたニールの手が不意に止まり、一歩後ろへ下がった気配がする。おそらくバランスを見ているのだろう。
「・・・よし、後ろはこんなもんかなっと。前はどうする?」
「何時もと同じでいいよ」
確認を終えたニールの言葉に、アレルヤはそのままの姿勢で応えた。それを受けて前へと移動したニールが今度は前髪を梳かし始める。
「前みたいに伸ばさないのか?」
「うーん、もうこっちに慣れちゃったからね・・・・・・長い方がいい?」
「いや、どっちかっていうと、おれには前の方が馴染みがあるからなぁ・・・ああでも今のもいいか。この方がどっちともよく見える」
おれは銀も金も好きだからな、との言葉に、俄かに頬が熱くなった。
それはそういう意味でも捉えていいのだろうか―――
真意が掴めなくて思わず焦るアレルヤに、内ではハレルヤが『相変わらず気障なヤツ・・・』と呆れた声を上げている。
だけどアレルヤのその反応も仕方がないだろう。
何しろ意外にも照れ屋なニールは、そういった類の言葉を口にしてくれないのだから。
けれどその分だけ、言葉にしてくれた時の嬉しさは想像を超える。
ひょっとしたら彼は何気なく口にしてしまっただけかもしれない。
だがそれがまたニールの飾らない、本当の気持ちでもあるような気がして、アレルヤはどうしようもなく嬉しかった。

さわり、と肌を撫でる風が火照った頬に心地好い。
そんなとある夏の昼下がりの話―――





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