甘いご褒美



コツコツコツ―――

・・・・・はぁ。


人差し指でデスクの上を叩き溜息を零す、この一定のリズムを俺はもう何度繰り返したか覚えてないくらい延々と続けている。
腰掛けている椅子は窓に面していて、そこからは外に広がる晴天を示す青空が望めて。時間は昼を少し過ぎた辺り。こーんないい天気の昼下がり、そろそろ風も冷たくなってきたこの季節でも外を散歩するにはもってこいな日だっていうのに、なんで俺は室内でしかも日がな一日PCのディスプレイと睨めっこしてなきゃならないんだろうな。
あああ勿体無い勿体無い。
憂鬱な溜息の合間、ちらりと後を振り返れば雑誌に視線を落としている年下の彼氏が、まるで見張りのようにこっち向きでソファに座っていた。
「ロックオン、あと378ページ。」
俺の視線に気付いたのか、アレルヤは視線を雑誌に落としたまま鬼のような文句を口にする。ううう、容赦ねぇな。


大学時代に遊び半分で書いて投稿した小説がうっかり入賞して、その上書籍化して新人賞なんか獲っちゃったもんだから、なんかそのままこれを生業にしちゃったわけなんだけど・・・・・まさかこんな苦行になるとは思いもしなかった。好きな時に好きなもん書いて済むなんて甘い世界じゃなかったと今痛烈に実感中。あ、いや締切の度にそう思ってるよな、俺。
そんなこんなで締切3日前のただいま絶賛缶詰め中。で、サボったり逃避したりしないように、と昨日大学の考査が終わったアレルヤが見張り役としてこうやっているってわけだ。
いつもはライルがこの役なんだけど、アレルヤは考査が丁度終わったし、けれどアレルヤの双子の弟でライルの恋人でもあるハレルヤは今日が考査の最終日ということで、あいつはあっさりと見張りにアレルヤを残しハレルヤを大学まで迎えに行った。しかも俺の車で!ちょっと待て。よく考えりゃあいつこそサボってんじゃねぇか!?
あー・・・・・なんか無性に腹立ってきた。

「なぁー、アレルヤー、いい天気だなぁ。」
椅子の背もたれをぎぃぎぃと鳴らしながら、背後で優雅に雑誌を読んでいるアレルヤに声を掛けると、そうですね、と抑揚のない声で返事が返ってきた。
「こんな日に部屋に篭ってるって勿体無いよなぁ・・・・・散歩に行ってお陽さんの光浴びたいよなぁ。」
「そうですね、ロックオンがあと378ページ書いたらね。」
ちっ、取りつく島もねぇな。
「あ、そうだ!アレルヤが見たいって言ってた映画、あれってもうすぐ終わるよな?」
「そうですね。でもあれは明後日までやってるので、明日までにロックオンが378ページ書き上げたら行けますよ。」
くそー、この手にも引っ掛からねぇか。普段はふにゃっとしてて一見頼りなさそうなのに、こういう時だけはしっかりしてるというか妙に硬いんだよなぁ。
「・・・・・・・・・・・アレルヤ、俺チーズケーキ食いたい。」
「うん、僕も食べたいな。でもロックオンが378ページ書き終えたらね。」
だぁーっもう!何やっても言ってもダメなのかよ。ほんと律儀にライルの言付守ってやがる。くそー、こんなんじゃサボることも逃げることも出来ねぇじゃないか。

「ねぇ、ロックオン・・・・・」
どうやってこの状況を打破しようかと思い悩んでいると、パサリと雑誌をテーブルに置く音がしてアレルヤがソファを立つ気配がした。
「僕はね、今回ロックオンの締切と僕の考査が同じような日程でお互い忙しいから会いたいのを我慢してたわけなんですよ。きっとロックオンも頑張ってるだろうからと思って僕も会うのも電話するのもメールするのも我慢して考査を頑張ったんですよ。終わったら貴方に会えるしいろんな所へ行ったりいろんなことしたり出来ると思って楽しみにしていたんですよ。それがどうですが。考査が終わって来てみれば貴方はまだ終わってない。それどころかまだ378ページもある。僕の計画は台無しですよ。どうしてくれるんですか。我慢していた僕のこの想いを貴方はどう責任とってくれるんですが。少しでも悪いと思ってくれてるなら、あれがしたいこれがしたいと我侭を言う前に策略を廻らす前にさっさと目の前にある仕事を終わらせて下さい。さぁ、あと378ページ。さっきから1ページも進んでませんよ。ほら、どうしたんです?散歩にも映画にも行きたいんでしょう?チーズケーキも食べたいんでしょう?だったら早く書いて下さい。」
と一気に捲し立てるわけでもなくあくまでも穏やかにそう言い切ったアレルヤの顔は笑ってる。けど実は心の底から笑ってるわけじゃない。なんかアレルヤの背後に不気味なオーラが見えるのは俺の気のせいだろうか。
こんなアレルヤの笑ってない笑顔は通称“黒い笑顔”。
この笑顔を発動させる時は、アレルヤはかなり怒ってるってことで。普段はあまり怒ることのないアレルヤなだけに怒らせると恐い。
・・・・・・・・・・・あ、なんか俺、今、すっごく泣きそうかも。
うわーん、アレルヤが恐いよー。父さん、母さん、エイミー、俺を助けて。ライル、早く帰って来い。おまえの大事な兄がピンチだぞ。



結局。
アレルヤの鬼の監視のおかげで、寝る間も惜しんで378ページを書き終えたのは翌日の日がすっかり沈んでしまった頃だった。不眠不休で30時間以上。ははっ、俺ってすげぇ!
「はい、これで出来上がりましたね。ロックオン、お疲れさまです。」
爽やかに言い放つアレルヤも俺に付き合って徹夜したっていうのに。考査明けだというのになんでそんなに爽やかなんだ。俺はもうヘロヘロだぞ。ほんと、今回はマジで死ぬかと思った。頼む、寝させてくれ。
うー、だとか、あーだとか言葉にならない呻きを上げデスクに突っ伏している俺にアレルヤはくすり、と笑ってその大きな手で頭を撫でてくれる。優しく撫でてくれるその手付きが気持ち良くて、思わずこのまま寝てしまいそうだ。
「頑張ったご褒美にロックオンのやりたいこと、なんでも付き合いますよ。とりあえずは明日も天気がいいようですし、公園を散歩して映画に行って、帰りにチーズケーキを食べて。あとは何がしたいか考えて置いて下さいね。」
そう言ってくれたアレルヤはいつもの優しいアレルヤで。終わった安心感とアレルヤがいつものアレルヤに戻ってくれた安堵感で思わず目が潤みそうだ。
アレルヤが怒ってくれたのは、詰まるところ俺のためであって。終わった後はこうやって盛大に甘やかしてくれるアレルヤのことを、俺は心の底から好きなんだなぁってアレルヤの顔を見ながらぼんやりと思った。
どうしました?と首を傾げて訊ねてくるアレルヤの穏やかな銀灰色の瞳を見つめながら、とりあえずは寝たい。寝たいけど・・・・・その前にご褒美のアレがして欲しいな、と視線で訴えてみたら。
厳しいけれど優しい年下の恋人は、ちゅ、と優しくて甘いご褒美のキスを唇にくれた。





2008.11