それは伝わりにくいものだけれど
アレルヤが熱を出した。原因は特にないらしく、幼児特有のそれ、らしい。
久しぶりの休日。いつものように二匹の小悪魔が起こしにくることもない穏やかな朝。
気の済むまでゆっくり惰眠を貪ってやろうと思っていた俺のささやかな願いは、バタバタと忙しなく廊下を走る音であっさりと打ち砕かれてしまった。
それでも俺は意地汚くまだ寝てやろうとシーツを頭から被って騒音を塞ごうと試みるけれど、一度妨げられた眠気はさっぱりと何処かに行ってしまって再び戻ってくる気配がない。ああもう。
仕方なく起き出して、あわよくば朝メシにでもありつけるだろうか、と寝癖なのか元々のクセ毛なのかわからない乱れた頭をがしがしと掻きながらリビングへと向かったら。
いつもは騒ましいほどに賑やかなそこは、何時になくしんとしていた。
ひょっとして出掛けたのか?
とは思ったものの、ニールは俺と違って律儀なところがあるから(ニール曰く、俺がだらしないだけらしい)出掛ける際は寝ていてもちゃんと俺に一声掛けていくはずだ。それがなかった、ということは何処にも行ってない。つまりはこの家にいるということ。
けれども、この部屋の静けさは一体どうしたというんだ。こんなに静かな部屋っていうのは、ちびたちが家に来て以来縁遠いもんだったんだが。
不思議に思ってリビングをぐるりと見回してみたら、いつもは賑やかに遊んでいるちびたちの姿がひとつしかないことに気付いた。
「・・・・・ハレルヤか?」
その後姿に声を掛けてみれば、なんだ、らいるか、と不遜な返事が返ってきた。ああ間違いなくハレルヤの方だ。
俺とニールもそうだけど、こいつらもまたちょっとやそっとじゃ見分けがつかないんだよなぁ。まぁ前を向いてくれてたら前髪の左右や瞳の色で区別はつくんだが、生憎今は後姿だ。間違えなかった俺、えらいぞ。
「アレルヤはどうした?ニールは?」
珍しく一人で遊んでいるハレルヤに、片割れと俺の片割れの所在を聞いてみると、
「あれるやはねつだしてねてる。ろっくおんはそのかんびょう。」
元々素っ気ない話し方しかしないハレルヤだが、今日はなんだかそれが一層強いような気がする。それだけ言うと、ハレルヤはまた手元で弄っていたもので再び遊びだした。
ふうん、とだけ返して、それじゃあ仕方ない自分で入れるか、とキッチンに入ってインスタントのコーヒーを作る。ほんとは豆から淹れたのが飲みたいけど、面倒臭いから妥協しとこう。
少し油っぽく感じるコーヒーを飲んで新聞を読んでいると、パタパタと今度はゆっくりめに廊下を歩く足音が聞こえてきた。
「あれ?ライル、起きてたのか。休みなのに?」
リビングのドアを開けて顔を出した俺の片割れは、久しぶりの休日で、しかも俺にとってはまだ朝だと言い張れる時間に起きていることに驚いて、尚且つ不思議そうに聞いてくる。
起こされたんだよ!と言葉にはせず不満気な視線をニールに送ると、悪ぃ悪ぃ、と笑って誤魔化された。ていうか、悪いと思ってないだろ、それ。
「アレルヤが熱出しちゃってさ、ぐずって大変なんだよ。今やっと寝たとこなんだけどさ。」
肩を竦めてそれだけ言うと、ニールはキッチンに入ってまだだった朝食の後片付けをし始めた。
そういやライル、朝メシは?と如何にも忘れてましたと聞いてくるニールに、トーストだけでいい、と若干不機嫌気味に答える。ちびたちがこの家に来てから、どうにも俺の扱いがぞんざいになってるような気がするのは俺の気のせいだろうか、ニール。
そんな俺の気も知らないで、ふんふんと鼻歌を歌いながら食器を洗い終えたニールは、バターを塗ったトーストを乗せた皿と、自分の分だろうほんのり甘い香りを漂わせたミルクティーの入ったマグカップ、そしてなにやら小皿をひとつ手にして、ダイニングにいる俺の元へとやって来た。
差し出されたトーストを齧りながら相変わらず新聞に目を通していると、リビングで遊んでいたハレルヤがニールに連れられてやって来た。どうやらニールが用意した小皿はハレルヤ用のおやつらしい。
チェリーの乗ったプリンを黙々と口に運んでいるハレルヤ。やっぱり今日はなんだかおかしいな。いつもの元気がないというか、覇気がないというか。普段の小憎たらしい態度もどうかと思うが、今日の大人しさもいまいちパッとしないよなぁ。からかい甲斐がないというかなんというか。
ニールもハレルヤのそれに気付いているのか、なにかとハレルヤに声を掛けてはいるが、当の本人は、ああとかうんとか生返事ばかり。ほんと、今日のおまえ変だぞ。
「そういや、アレルヤの熱、高いのか?」
そんな微妙な空気の中、この場に居ないもう一人のちびの容態をニールに訊ねると、
「ああ、熱は大したことないんだけどさ。でもやっぱ身体がだるいのか、ぐずって仕方がねぇんだよ。」
そう苦笑い気味に言うニールの言葉を聞いて、あの甘えん坊のちびの様子が容易に想像出来て、俺もまた苦笑いが零れた。
そんな会話を交わしていると、廊下の方から何かを引き摺るような音が聞こえてくる。
ズルッ、ズルッ、という音が近付いてきてリビングの前でその音が止まった。ニールがまさか、と腰を上げたと同時にドアが開いて。
「ろっくおん、いない〜〜〜〜〜!! うわぁぁぁぁん!!」
と、案の定マルチーズのワンポイントが入った枕を引き摺ったアレルヤが泣き叫びながら入ってきた。
「アアアアアア、 アレルヤ!?起きたのか!?」
慌ててアレルヤに駆け寄り、その小さな身体を抱き上げるニール。反応といいあやし方といい、その姿は立派なお母さんだよな、と新聞から目を離してぼんやりと思った。言ったら殴られるだろうから、敢えて心の中だけに留めておこう。
まだぐずぐずと泣いて首にしがみついたまま離れようとしないアレルヤを、どこにも行かないから、大丈夫だから、と宥めてニールは再びアレルヤと共にちびたちの部屋へと消えて行った。
その一連の流れを見ていた俺は嘆息を零し、また黙って二人の後姿を見送っていたハレルヤは持っていたスプーンを置いて再びリビングへと戻っていってしまった。
ハレルヤの去ったテーブルを見れば、小皿に乗ったプリンが半分ほど残っている。確かプリンはちびたちの好物だったはずなのに。
「おい、ハレルヤ。プリンまだ残ってるぞ。」
と声を掛ければ、いらねぇ、と言葉少なに返事が返ってきた。ふむ、やっぱりおかしい。
それから俺はリビングに場所を移して、新聞や雑誌に目を通しながらそれとなく元気のないハレルヤの観察を続ける。生憎ニールほどちびたちの様子に敏くはないからわからないけれど、ひょっとしてハレルヤも熱が出てたりするんだろうか?
そんな心配をよそに、当の本人はハロを転がして遊んでいる。いつもは蹴ったり随分と(本人にその気はないにしても)乱暴な扱いだというのに、今日はそれすらも大人しい。かと思えばふらりとリビングから出て行ったり。ただそれを繰り返してる。
その奇妙な行動を不思議に思って、ハレルヤが何度目かに出て行った際こっそりと覗いてみたら、何をするでもなくただアレルヤが寝ている部屋の前で、扉を見つめて立っているだけだった。
なんだ?あの部屋に遊びたいおもちゃでも置いてあるのか?だったら気にせずに入っていけばいいだろうに・・・・・。
とそう思ってふと気付いた。
たぶん、ハレルヤはアレルヤの様子が気になるんだろう。もしくは、いつもべったりなニールをアレルヤに取られて淋しいのか。おそらく、どちらものような気はする。俺もガキの頃、ニールが熱を出すと今のハレルヤと同じような行動をしていた覚えがあるから。
ならば子供らしく入って行ってアレルヤの顔を覗くなり、ニールに甘えるなりすればいいのに。だけどなかなかどうして。あれで結構プライドの高いヤツだから素直にそれが出来ないのか。それに、体調の悪いアレルヤとその世話で手一杯のニールに気を使っているのも本当なんだろう。そういうヤツだ、ハレルヤは。
まったく、困ったヤツ。素直に甘えたり出来るのもガキの特権なんだぞ。そのうち出来なくなるんだから、今の内にやっとけって。
でもそんなハレルヤが、いつかの俺とダブっていじらしく、また可愛いとも思ってしまう。ああ俺にも父性愛ってもんが芽生えてきたんだろうか、なんてらしくないことを思ってしまった。
ふぅ、っと嘆息を一つ吐いて。
今日は久しぶりの休みだから一日中家でごろごろと過ごしてやろうと思っていたけど仕方がない。
「ハレルヤ。」
名前を呼んで、側まで行き、しゃがみ込んで目線を同じくして話す。いつもニールがちびたちにしているみたいに。
顔は同じでもニールの代わりにはなれないけれど。
「公園にでも行くか。」
一緒に遊んでやることくらいは出来るから。
小さな頭に手を置いてくしゃりとその濃緑色の髪を撫でてやったら、金色の瞳は一瞬大きく開いたあと今にも泣きそうな顔をして。そして小さく頷いた。
やっぱり、ハレルヤは淋しかったんだよな。
ドア越しに、ハレルヤを連れて公園へ行ってくる、昼メシは適当に食ってくるから、とニールに告げて玄関でハレルヤに靴を履かせていると、再びアレルヤは眠ったのだろう、ニールがそっと出てきて見送ってくれた。
気を付けていっておいで、と微笑むニールにハレルヤは、おう!と返すと元気良く飛び出して行った。その姿に、俺とニールは思わず苦笑いだ。ニールもよく言ってるけど、子供ってのは本当にゲンキンなもんだ。
近くの公園までは徒歩5分くらい。
着いた早々ハレルヤはサッカーの相手をしろ、と持ってきたサッカーボールを取り出してまずはボールの蹴り合い。それに飽きれば、今度は滑り台だのジャングルジムだの、果てはブランコを押せと次々要求をしてくる。
家でのあの大人しさは一体なんだったんだ。
それでもハレルヤの嬉しそうに遊ぶ姿を見て、ちょっと安心もする。どれだけ五月蝿かろうと、やっぱり普段の姿が一番だ。
「なぁなぁ、らいるー。はらへったー。」
一頻り遊んだハレルヤの次の要求に、時計を見れば昼メシ時だ。さてどうしたものか、と周囲をぐるりと見渡せば、ちょうど公園の片隅に移動販売の店が目に止まった。
「んー、そうだな。あの店でなんか買って食うか。」
と移動販売の車を指してそう言えば、ハレルヤは眉間に皺を寄せて
「ろっくおんはふぁーすとふーどはからだにわるいっていってたぜ。」
とまぁ一丁前のことを言ってくれる。こんなことを言うのもニールの教育の賜物なんだろうが・・・・・なんつーか、もうちょっと融通を利かせてくれよ、と思わず泣きつきたくなった。
「んじゃ、家に帰って俺がメシ作ってやろうか?」
「げー、らいるのめしまずいじゃん。」
って失礼な。確かにニールの作るメシよりはまずいかもしれない。それは否定しないけどさ。
「しかたねーなー、きょうはかんべんしてやるよ。」
っておまえ何様!?しかも上から目線かよっ!?
買ったホットドッグとドリンクを手に、公園にある大きな木の下のベンチへと腰を下ろす。
包装紙を捲って渡してやれば、ハレルヤは大きな口を開けてかぶりついていた。ファーストフードはなんたらとか言ってた割にはいい食いっぷりだよなぁ。
それでもやっぱりちびの胃袋に1つは多かったのか半分ほど食べたところで、もうはらいっぱいになった、と残りを差し出してきたハレルヤの顔を見て俺は思わず、いや盛大に笑ってしまった。
「ちょっ!おまっ・・・・・ハレルヤ、すげぇ顔!」
口の周りどころか鼻の頭にまでケチャップ付いてるぞ。そりゃもうべったりと。
腹を抱えて笑う俺に、うるせー!わらうな!らいるのくせに!と顔をケチャップと同じ色にして喚くハレルヤが服の袖で拭おうとしているのを慌てて止めて、貰った紙ナプキンで拭いてやる。
ケチャップでべたべたにした服で帰ったらニールに怒られるのは俺なんだから勘弁してくれ。
木陰のベンチに座って買ったコーヒーを飲んでいれば、心地好い風がさわっと通り抜けて行って、ついうとうとしてしまう。あー、普段じゃ絶対味わえない満ち足りた時間ってカンジだよなぁ。贅沢だ。
それなのにハレルヤは今度は砂場で遊ぶと言い出し走り出して行った。おーい、おまえは昼寝しなくていいのか?俺としてはして欲しいところなんだが。
でも無駄に元気なハレルヤを一人で遊ばしておくわけにもいかず(というか、したらニールに怒られるのは俺だ)、仕方なく腰を上げたときに思わず、よっこいしょ、と呟いてしまったのは内緒だ。やばい、俺まだ24なのに。
そんでもって、砂山崩しに思わず本気を出してしまったことも内緒だ。
その後も一頻り遊んで、気付けば家を出てから3時間ほど過ぎている。
時計を見ている俺に気付いたのか、はたまた家で寝ている片割れが心配になったのかハレルヤは、もうかえる、と言い出した。もういいのか?充分遊んだか?と問えば、おう、もういい、とさっさと手洗い場へ駆け出して行った。
どうやら満足して頂けたようだ、と安心して嘆息を零し、俺もまたゆっくりとハレルヤの後を追った。
公園を後にしてのんびりと帰る道すがら、一軒の洋菓子店が目に付いた。
そしてふと思い出す。そういや、もうおやつの時間だったな、と同時に今朝ハレルヤが食べ残したもののことを。
店の前で足を止めて、傍らで歩くハレルヤに問うてやる。
「ハレルヤ、プリンでも買って帰るか?」
「!?いいのか!?」
驚いた顔でそう聞き返してきたハレルヤに、ああいいぞ、と答えてやれば嬉しそうに破顔して、うん、と返す様があまりにも年相応で、素直に可愛いと思った。
そして思った。あぁ、なんだかニールの気持ちもわかるような気がする、と。こいつらの嬉しそうな顔を見れば、自分も何だか嬉しくなるってことを。
店に入れば、フルーツがいっぱい乗ったのがいいという要望。じゃあ、とそれを4つ買って店を出たところで、
「あれるや、もうげんきになったかなぁ。これ、くえるようになってるかなぁ。」
と心配気に呟くハレルヤに、ああこんなに小さくても兄弟を心配するんだ、と気付かされた。そういや俺もガキの頃はそうだったかな。そうだ、どんなに幼くても兄弟を、家族を思う心はあった。
「ああ、もうアレルヤのヤツも元気になってるさ。」
と確証はないけれど、そう言ってやればハレルヤはまた嬉しそうな顔で笑う。その笑顔についつられて、気付けば俺も笑っていた。
今日一日で、随分とハレルヤの一面を見た気がする。普段は仕事が忙しくてちびたちのことはニールに任せっきりのところがあるからだけど。
なかなか構ってやれないし、気付かないことが多くてごめんな、と心の中で呟く。
だけどおまえたちは大事な家族だし、大切だと思ってるんだぜ。改めて口に出すことなんてしないから伝わりにくいとは思うけど。
繋いだ手にほんの少し力を込めると、小さな手がぎゅっと握り返してきた。
まるで、わかってるよ、というように。
2008.08